海部俊樹(読み)かいふとしき

日本大百科全書(ニッポニカ)「海部俊樹」の解説

海部俊樹
かいふとしき
(1931―2022)

政治家。愛知県生まれ。早稲田(わせだ)大学法学部卒業。1960年(昭和35)自民党自由民主党)から衆議院初当選。三木派、のちに河本派に所属。福田赳夫(ふくだたけお)内閣の文相として初入閣。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣でも文相を務める。宇野宗佑(うのそうすけ)退陣後、自民党批判をかわすため、竹下派の支持により1989年(平成1)8月首相となる。弁論の巧みさと若さを前面に出し、1990年の総選挙では自民党安定過半数を確保した。湾岸戦争では多国籍軍への90億ドル支援とペルシア湾への海上自衛隊掃海艇派遣を行った。1991年に小選挙区比例代表並立制の導入を目ざしたが、党内の同意が得られず同年10月退陣。1994年6月首相指名選挙の際、自民党を離党して新生党、公明党などの連立政権側から立候補したが敗れた。同年12月の新進党結成にあたっては初代党首となった。1995年12月退任。1997年の新進党解党後は無所属。その後自由党、保守党、保守新党に所属。2003年(平成15)11月保守新党が自民党との合併により解党、ふたたび自民党の所属となった。2009年の衆議院選挙で落選し、政界を引退した。

[伊藤 悟]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「海部俊樹」の解説

海部俊樹
かいふとしき

[生]1931.1.2. 愛知,名古屋
[没]2022.1.9. 東京
政治家。内閣総理大臣(首相。在任 1989~91)。1948年中央大学専門部法科に入学,1951年に卒業し,衆議院議員の河野金昇の秘書となる。1952年早稲田大学法学部に編入学,在学中は雄弁会で活躍し,1954年卒業。1960年11月,全国最年少となる 29歳の若さで衆議院議員総選挙に当選。1965年に自由民主党の青年局長,1974年に三木武夫内閣の内閣官房副長官に就任するなど要職を歴任し,1976年には福田赳夫内閣の文部大臣に就任,大学入試制度改革に着手し,1979年に国公立大学共通第1次学力試験(共通一次試験)を導入した。その後も党の要職につき,1985年中曽根康弘内閣で再び文部大臣に就任した。1989年8月,短命に終わった宇野宗佑内閣のあとを受け,昭和生まれ初の自民党総裁および首相(第76代,48人目)に選出された。1990年2月の衆議院選挙では自民党を安定多数の勝利に導き,第77代首相に選出され,第2次内閣を発足させた。在職中は,湾岸戦争に際し,中東支援策としてアメリカ合衆国をはじめとする多国籍軍への総額 130億ドルの資金協力や,停戦後の自衛隊掃海艇のペルシア湾派遣に踏み切った。また,国内においては衆議院選挙への小選挙区制導入など政治改革関連法案の成立を目指したが,党内で同意が得られず,1991年11月退陣した。1994年6月,政権から転落した自民党が日本社会党新党さきがけとともに社会党の村山富市を首相に擁立することに反発して自民党を離党,新生党公明党などの連立与党側から首相指名選挙に立候補したが村山に敗れた。同年 12月,小沢一郎羽田孜とともに新進党を結成し初代党首となった。1997年12月の新進党解党後は自由党保守党,保守新党で最高顧問を務め,2003年11月,保守新党の自民党合流により自民党に復党した。2009年の衆議院選挙で敗れて政界を引退するまで,連続 16回の当選を果たした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア「海部俊樹」の解説

海部俊樹【かいふとしき】

政治家。愛知県出身。早稲田大学卒業。衆議院議員秘書を経て,1960年自由民主党から衆議院議員に当選。福田,中曾根両内閣で文相を務めた。1989年宇野宗佑総裁の辞任に伴う自民党総裁選で総裁に当選し,同年8月に首相となる。1990年第2次海部内閣組閣,1991年総裁・首相を退任。1994年新進党結成に参加し初代党首に選ばれる。1997年12月の新進党解党後は衆議院会派〈無所属の会〉を経て,自由党所属。自由党分裂後は保守新党,2003年の自民党合流後は自民党所属。2009年の衆議院選挙で落選し政界からの引退を表明した。→海部俊樹内閣
→関連項目宇野宗佑内閣小沢一郎宮沢喜一内閣

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉「海部俊樹」の解説

かいふ‐としき【海部俊樹】

[1931~2022]政治家。愛知の生まれ。昭和35年(1960)自由民主党から衆議院議員初当選。平成元年(1989)宇野内閣退陣で、最大派閥竹下派に推され首相就任。翌年の湾岸戦争では多国籍軍への資金援助と自衛隊艦派遣を行った。平成3年(1991)、選挙制度改革案が自民党内の支持を得られず衆議院解散の動きを見せたため、竹下派の反発を招き総辞職。その後、新進党自由党保守党などを転々とし平成15年(2003)に自民党復党。→宮沢喜一

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「海部俊樹」の解説

海部俊樹 かいふ-としき

1931- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和6年1月2日生まれ。議員秘書をへて,昭和35年自民党から衆議院議員に初当選(当選16回)。三木派に属し,福田内閣・第2次中曾根内閣の文相をつとめる。平成元年首相となり,2年第2次内閣を組閣。3年政治改革関連法案が廃案となり辞任。6年新進党結成にくわわり,党首。のち自由党,保守党をへて自民党に合流。平成21年総選挙で落選。愛知県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

完全試合

野球で,先発投手が相手チームを無安打,無四死球に抑え,さらに無失策で一人の走者も許さずに勝利した試合をいう。 1956年ニューヨーク・ヤンキーズのドン・ラーセン投手がワールドシリーズでブルックリン・ド...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android