日本歴史地名大系 「東明寺」の解説 東明寺とうみようじ 福島県:会津若松市若松城下大町東明寺[現在地名]会津若松市大町二丁目大(おお)町の西側、弥勒(みろく)寺の北隣にある学校法人東明幼稚園の中にある。当麻山と号し、時宗。本尊は阿弥陀如来。建治三年(一二七七)一遍の開基。昔郭内諏訪神社の東にあったが、元和三年(一六一七)大町に移った。「戊辰若松城下明細図」によると、大町名子屋(なごや)町の北端正面にあり、その手前左側に糠塚(ぬかづか)町へ抜ける道が記される。当時の境内は東西一町七間半・南北一町八間という広大な敷地で、本堂は二七間余で、開山一遍の影堂をはじめ、二六院があったという(会津の寺)。永禄年間(一五五八―七〇)越中の僧文峰が当地に来た折に、蘆名盛興(盛氏の子)が深く帰依し、当寺の住職にし、寺領四〇〇石を与えたという(新編会津風土記)。 東明寺とうみようじ 奈良県:大和郡山市矢田村東明寺[現在地名]大和郡山市矢田町金剛山(こんごうせん)寺(矢田寺)の北方約一キロ、矢田(やた)丘陵の中腹にある。鍋蔵山と号し、高野山真言宗。本尊薬師如来。開基は舎人親王といわれる。江戸中期の「奈良地誌」に「添下郡 鍋蔵山 東明寺 矢田寺末寺 真言宗 舎人親王御建立 本尊薬師」とある。また享保九年(一七二四)の郡山町鑑(柳沢文庫)は「境内百拾五間 百拾間 無本寺 東明寺」とある。同年の金剛山寺明細帳覚(金剛山寺蔵)によると東明寺は矢田寺の触下となり、矢田寺とともに矢田村惣鎮守の矢田坐久志玉比古(やたにいますくしたまひこ)神社の神役を勤めていた。 東明寺とうみようじ 奈良県:天理市福住地区福住村東明寺[現在地名]天理市福住町融通念仏宗西念(さいねん)寺後方の山すそにある廃寺。医王山竜松(りゆうしよう)院と号する。現在は仮堂をとどめるだけであるが、戦国期には筒井氏・福住氏の菩提寺であった。「筒井諸記」に「真言宗 福住別所村下之坊末寺」とある。宝暦六年(一七五六)に焼失し、以後仮堂に本尊薬師如来を安置していたが、現在は西念寺に祀られている。なお西念寺観音堂は真言宗の廃寺長楽(ちようらく)寺(現天理市)の本尊木造十一面観音立像を安置。 東明寺とうみようじ 三重県:一志郡白山町大村東明寺[現在地名]白山町二本木薬王山福聚院と号し、天台真盛宗。本尊薬師如来立像。開創は平安時代、恵心僧都の建立と伝える。本尊薬師如来は平安末期の作で現在県指定文化財。光背に貞享三年(一六八六)丙寅三月一五日銘で「観禅和尚代」の墨書銘が残るが、修理時のものと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by