デジタル大辞泉 「東長寺」の意味・読み・例文・類語 とうちょう‐じ〔トウチヤウ‐〕【東長寺】 福岡市博多区にある真言宗御室派系の単立寺院。山号は南岳山。開創は大同元年(806)。唐から帰国した空海の建立という。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「東長寺」の意味・読み・例文・類語 とうちょう‐じトウチャウ‥【東長寺】 福岡市博多区御供所町にある真言宗九州教団の本山。もと真言宗御室派。山号は南岳山。大同元年(八〇六)空海の草創と伝えられる。江戸時代、藩主黒田氏の保護をうけた。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「東長寺」の解説 東長寺とうちようじ 福岡県:福岡市博多区博多・博多津呉服町流小山町東長寺[現在地名]博多区御供所町真言宗九州教団、南岳山宝持(ほうじ)院と号し、本尊は千手観音。東長蜜寺とも記される。寺伝によれば大同元年(八〇六)空海(弘法大師)が唐から博多に帰着して東長密寺を建立、自刻の不動像を本尊とした。初め博多の海辺に所在し、同所を勤行(ごんぎよう)の町(のちの行ノ町)と称した。盛時の境内は江戸時代の呉服(ごふく)町にまで及び、子院に金剛坊など五ヵ寺があった。大師の遺像を安置した大師堂があり、当寺は大師堂とも称された。元弘(一三三一―三四)頃兵火にかかり焼失、志摩(しま)郡志登(しと)村(現前原市)に移転、三年後に旧地にかつての半分以下の規模で再建されたという(続風土記・続風土記附録)。 東長寺とうちようじ 岩手県:九戸郡種市町種市村東長寺[現在地名]種市町 城内種市岳の東麓に位置し、主要地方道軽米(かるまい)―種市線沿いにある。秋峯山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。瑞雲(ずいうん)寺(現宮古市)の過去帳によれば六世本室寿宗の開山で、寛永三年(一六二六)に建立を発願、同七年建立開山とされる。一角には当寺の鎮守熊野神社が鎮座。宝暦九年(一七五九)の証文(大久保文書)によれば、種市村宿戸(しゆくのへ)で病死した摂津西成郡尾上(おのえ)町(現大阪市南区)の天満屋徳兵衛六十六部の回向を行ったことが知られる。「八戸藩日記」宝暦一三年正月一日条に「昨夜法光寺配下種市村東長寺夜八時手誤ニ而本堂庫裡不残焼失」とあり、のち種市村の竹林専輔・小林義房が土地ならびに建物を建築、寄進したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報