百科事典マイペディア 「松岡寿」の意味・わかりやすい解説
松岡寿【まつおかひさし】
→関連項目岡山県立美術館|藤島武二
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明治〜昭和期の洋画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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洋画家。岡山市生まれ。1872年(明治5)父とともに上京し、翌年川上冬崖(とうがい)の聴香読画館に入り、76年工部美術学校に入学してフォンタネージの指導を受ける。80~88年渡欧してローマでC・マッカリに師事し、ローマ国立美術学校を卒業する。帰国の翌年同志と明治美術会を創立。各種の博覧会審査官、文展の審査員を務める。また工科大学ほかの講師、東京高等工業学校・東京美術学校の教授、そして東京高等工芸学校校長などを歴任し、美術教育ならびに美術行政面で大きな功績をあげた。代表作に『ローマ、コンスタンチンの凱旋(がいせん)門』『伊太利ベルサリエーレの歩哨(ほしょう)』『海老名弾正(えびなだんじょう)氏肖像』がある。
[小倉忠夫]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…一方,高橋の師川上冬崖や,横山松三郎(1838‐84),国沢新九郎(1847‐77)らも画塾を開いて,洋画研究の道を進めている(画学校)。 日本で最初の正則の西洋画教育を行った工部美術学校からは,フォンタネージの薫陶のもとに浅井忠,五姓田(ごせだ)義松,小山正太郎,松岡寿(ひさし)(1862‐1943),山本芳翠,中丸精十郎(1841‐96),高橋(柳)源吉(1858‐1913)ら明治中期を代表する洋画家が育った。フォンタネージはバルビゾン派の影響を受けた,イタリアでは一流の画家で,工部美術学校でもその画技と人格を敬愛されたが,78年脚気を病んでイタリアに帰る。…
※「松岡寿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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