日本に常在しない感染症のうち、検疫法に規定され、検疫所が行う検疫の対象となるもの。流動的な事態への対処のために、その他の法律や政令によって特定の個々の疾患の追加等ができるよう含みをもたせている。具体的には現在、それらは「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症予防・医療法)に示された1類感染症であるエボラ出血熱、クリミア‐コンゴ出血熱、ぺスト、マールブルグ熱、ラッサ熱、痘瘡(とうそう)(天然痘)、南米出血熱の7種類と、新型インフルエンザ等感染症、および政令で定める感染症(ジカウイルス感染症、チクングニア熱、中東呼吸器症候群〈MERS(マーズ)〉、デング熱、鳥インフルエンザA〈H5N1、H7N9〉、マラリア、新型コロナウイルス感染症〈COVID(コビッド)-19〉など)となっている。
歴史的には、1969年に制定された国際保健規則(IHR)で、人類にとって脅威となる伝染病のうち、とくに、コレラ、ペスト、痘瘡(天然痘)、黄熱病の4種を対象疾患としたうえで、世界の交通に対する阻害を最小限に抑えつつ、疾病の国際的伝播(でんぱ)の防止に最大限の効果をあげるために、世界保健機関(WHO)加盟の各国の保健主管庁に対して、その領域内の海港、空港に同規則に規定する措置を適用しうる機関および器材の確保を求めた。したがってこの4疾患が当初、検疫伝染病(後に「検疫感染症」と用語変更)と規定された。これらは流行地域やその近傍の国での入国にあたって当該国が予防接種証明書(イエローカード)の提出を求めることができる疾患であったが、現在では黄熱のみがその措置の対象とされている。
予防接種証明の対象疾患の変遷に表れたこのような変化は、特定の感染症の地域的広がりに対する国境線上での防御という古典的な検疫概念の縮小に見合ったものといえる。一方で、次々に発生する新興感染症(後天性免疫不全症候群(AIDS(エイズ))、重症急性呼吸器症候群(SARS(サーズ))、新型インフルエンザなど)や再興感染症(結核、麻疹、デング熱など)、また、感染性病原体を用いた生物テロの現実的可能性や広域な激甚災害後の感染症対策など国境を越えて広く公衆衛生上の脅威となるような事態は頻発の度を高めているので、これらに対処すべき国際的な制御、監視システムとしての検疫の概念はますます求められてきており、1990年代以降、国際保健規則の改訂はつねにこの要請に沿ったものとなっている。
日本でも、1998年(平成10)、とくにハンセン病やエイズにみられた差別的施策への反省から、旧来の伝染病予防法が廃止され、新たに「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」が制定された。これに伴って、同法に定められた「1類感染症」をすべて検疫の対象とするよう検疫法も改正されたが、このなかには、1980年のWHOによる天然痘撲滅(ぼくめつ)宣言により、一時、検疫の対象外となった天然痘が、2001年のアメリカ同時多発テロ以降の国際情勢をふまえてふたたび監視の対象疾患として取り上げられている。さらに、日本では伝播の条件が整わず国内流行のおそれは少ないものの、渡航者個々にとって重大な問題であり、日本への輸入例が増加傾向にあるマラリア、デング熱や、世界的流行が懸念されている鳥インフルエンザおよびその他の新型インフルエンザ等感染症が新たに検疫対象疾患とされるようになった。
法的指定はないものの、海外において渡航者が感染する疾患はこのほかに、旅行者下痢症(腸チフス、コレラ、赤痢、アメーバ赤痢などを含む)、ウイルス性肝炎、狂犬病、日本脳炎、ダニ脳炎、髄膜炎菌性髄膜炎、種々の寄生虫疾患など数多くあるので、運用面では未知のものも含めてあらゆる感染症に積極的に対応していく姿勢が今後も検疫には求められている。
[西澤光義]
(2020-2-4)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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