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楽毅論 がっきろんYue-yi-lun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

楽毅論
がっきろん
Yue-yi-lun

中国,戦国時代の燕の武将,楽毅 (がくき) についての人物論。三国魏の夏侯玄の撰。東晋の王羲之 (おうぎし) がいたと伝えられる小楷書法帖が著名。現存のものは異本が多く,明の『余清斎法帖』 (1596~1614) に刻されているものが比較的よいといわれる。正倉院宝物中に光明皇后が中国伝来の双鉤填墨 (そうこうてんぼく) 本を臨模したとみられる『楽毅論』1巻があり,王羲之の生気に満ちた筆力の強い書風がうかがわれる。

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百科事典マイペディアの解説

楽毅論【がくきろん】

中国,三国時代の魏の夏侯玄〔209-254〕が楽毅について論じた人物論。348年王羲之がこれを書き,のち彼の楷書の第一として重要視されている。光明皇后がその模本臨書した(744年)といわれるものが正倉院宝物中にあり,正倉院の書跡中の白眉(はくび)とされる。

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世界大百科事典 第2版の解説

がくきろん【楽毅論 Yuè Yì lùn】

中国,三国魏の夏侯玄(209‐254,字は太初)の作った文章。内容は戦国時代の燕の将軍楽毅が斉と戦い,莒(きよ)と即墨の2城だけ攻略しなかったことで,世の誤解を受けているので,これを弁護し,その志が遠大なことを訴えたもの。東晋の王羲之が子の王献之に書き与えた細楷の書跡が,古来彼の正書第一とされる。その書風を唐の孫過庭は〈楽毅を写せば情,怫鬱(ふつうつ)(心がふさぐこと)多し〉(《書譜》)という。正倉院の光明皇后臨書の書跡は,よくこの気分を存している。

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大辞林 第三版の解説

がくきろん【楽毅論】

中国、魏の夏侯玄かこうげんが楽毅について著した小論。晋の王羲之おうぎしが楷書で書いたものが有名で、楷書の法帖となっている。光明皇后の臨写本も著名。

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世界大百科事典内の楽毅論の言及

【王羲之】より

…それよりも,唐初に王羲之の行書を拾い集めて碑に刻した《集王聖教序》の方が信用できる。草書としては,尺牘二十数種を集めた《十七帖》,楷書としては,《楽毅論(がくきろん)》《黄庭経(こうていけい)》《孝女曹娥碑(こうじよそうがのひ)》《東方朔画賛(とうぼうさくがさん)》などの細楷が法帖として伝わっている。そのうち《楽毅論》は,光明皇后の臨摹したものが正倉院に残っており,これによって逆推すると,一字一字を非常に技巧をこらして書いたものであったようである。…

※「楽毅論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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