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小笠原諸島に属する列島。東京都小笠原支庁小笠原村に属する。北緯26°32′~43′,東経142°07′~15′に位置し,最大の母島(面積21km2)を中心に姉島,妹島,姪島,向島,平島などの小島からなり,総面積28km2。古第三紀の海底火山が隆起,開析されたもので,周囲は高い海食崖に囲まれる。母島は南北に走る脊稜山地を有し,尾根筋には最高点の乳房山(463m)やなだらかな山稜平たん面があり,タコノキ,ヘゴなどの密生する樹林帯をなす。山稜北方の石門山は隆起サンゴ礁石灰岩の地帯で,海岸まで垂直に近い300mの断崖を落としている。西岸の御幸浜付近に標式的に分布する凝灰岩質砂岩はかつてロース岩と呼ばれた淡黄色の地層をなし,古第三紀の標準化石であるヌンムライト(貨幣石)を産出する。
第2次大戦前には母島北部の北港と南西部の沖港の沿岸に北村,沖村の集落があり,列島で約2000人の人口があった。戦争の激化に伴い1944年には全島民が引き揚げ,戦後はアメリカ軍の施政下におかれ無人島となったが68年に返還され,沖港の港湾施設の拡張により沖村で帰島者による定住が再開された。かつて農地であった船木山,評議平,中ノ平などの山稜や蝙蝠(こうもり)谷,静沢大谷などの谷間は集団的な入植による農地再開発が可能である。
執筆者:浅海 重夫
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…ディアナ号の副艦長リコルドや彼が人質とした箱館の商人高田屋嘉兵衛の尽力もあって,13年に釈放される。この間,足立左内,馬場佐十郎,間宮林蔵らにロシア語やロシアの国情を伝え,帰国後は,日本人のもとでの抑留生活の詳細な記録と卓抜な観察からなる《日本幽囚記》(1816)を著す。この本は短期間に各国語に翻訳され,ヨーロッパの日本認識に貢献した。…
…古典主義の荘重さと軽妙な風刺の要素を結合させた独特の華麗なスタイルが確立するのは,《メシチェルスキー公の死をいたみて》(1779)や上述の《フェリーツァによせて》,《神》(1784),《イズマイル占領によせて》(1791),《高官》(1794)などの頌詩においてである。上記の最後の三つの作品は文化年間(1804‐18)に海軍士官ゴロブニンによって日本に紹介され,馬場佐十郎によって部分的にではあるが漢詩風に翻訳された。1790年代以後は抒情的な作品が多くなり,《アナクレオン風歌謡集》(1804)に収められた作品には,古代ギリシアの詩人への深い傾倒がみられる。…
…1787年(天明7)にはショメル神父Noël Chomel(1633‐1712)の《百科辞典Dictionnaire universel》のオランダ語版が,オランダ商館長ティチングから楢林重兵衛に贈られた。1811年(文化8)から高橋作左衛門景保,馬場佐十郎,大槻玄沢らがこれを訳しはじめ,39年(天保10)までに主要部分を《厚生新編》69巻として刊行した。高橋作左衛門景保の父至時(よしとき)はJ.ラランドの天文学書を1787年にオランダ訳から訳している。…
…その種のものでは前野良沢が公命により訳出した《柬砂葛記(カムサスカき)》(1789成立)をはじめ,ロシア使節ラクスマンが渡来したさい桂川甫周が訳出した《魯西亜志(ロシアし)》(1793成立)があり,またロシアとの関係が悪化した文化年間(1804‐18)には山村昌永が《魯西亜国志》《魯西亜国世紀》(ともに1806成立)などを訳出している。さらに1808年(文化5)には世界地図編纂のために通詞馬場佐十郎が天文方高橋景保の下に招致され,幕命によりロシア関係の地理書や史書を翻訳している。このようにして幕府と蘭学者の間に共生関係が生まれた結果,11年には,暦局の付属機関として蘭書翻訳の部局が設けられ,前記馬場のほか江戸の蘭学者が動員されて,翻訳業務にたずさわることになる。…
※「母島列島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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