小笠原村(読み)おがさはらむら

日本歴史地名大系 「小笠原村」の解説

小笠原村
おがさはらむら

[現在地名]櫛形町小笠原おがさわら

桃園ももその村の南、南東流する滝沢たきざわ川の両岸平地に立地する。南北に走る駿信往還に沿って街村状に集落が発達した。原方はらかたに属する。枝郷に琵琶びわいけ(枇杷ヶ池)柿平かきだいらがある(甲斐国志)。「一蓮寺過去帳」によれば、永享一一年(一四三九)頃の供養と推定される善阿弥陀仏に「琵琶池」と注記がある。天正九年(一五八一)三月二〇日の武田家印判状(大野家文書)岩殿いわとの(現大月市)に在番し普請役を勤める代りに郷次の普請役を免除された萩原豊前の被官のなかに「小笠原の助右衛門」がみえる。


小笠原村
おがさわらむら

[現在地名]明野村小笠原

かやヶ岳の南西麓、標高六五〇メートル付近からしお川左岸四五〇メートルの間に広がる。古代小笠原牧の中心地といわれ、寛永一三年(一六三六)の両村堰開削嘆願書(両村堰沿革誌)では「両村ノ百姓、往古ハ牧馬等多数育テ上ゲ御貢ト致候」と述べている。また中世には小笠原長清が領したとも伝える。「甲斐国志」によれば小笠原・はら厚芝あつしば正楽寺しようらくじ大内おおちの五集落からなる。このうち正楽寺は枝郷として扱われた。慶長古高帳では高四三六石余、三枝土佐知行、ほかに六合領三石八斗八升八合、薬師領三斗二升六合、権現領一石一斗七升、八王子領一石四斗二升五合。


小笠原村
おがさわらむら

面積:一〇四・四一平方キロ

聟島むこじま列島・父島ちちじま列島・母島ははじま列島、火山かざん列島(硫黄列島)および西之にしの島・南鳥みなみとり島・沖ノ鳥おきのとり島の小笠原諸島全域を管轄下に置く。聟島列島・父島列島・母島列島の島々では、文久年間(一八六一―六四)の幕府調査時に島名・地名が付けられた。明治九年(一八七六)小笠原の日本帰属が確定し、入植・開拓が進むと、父島・母島では島内を幾つかの村(本土の村落とは別で字地に近い)に分けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小笠原村」の意味・わかりやすい解説

小笠原〔村〕
おがさわら

東京都南端,伊豆諸島の南にある太平洋上の島々からなる村。小笠原支庁に属する。1968年アメリカ合衆国より返還され,村設置。1979年村制。村域は,聟島列島父島列島母島列島硫黄列島火山列島),西之島沖ノ鳥島南鳥島からなる小笠原諸島の島々で構成。大部分富士火山帯に属する火山島で,海岸には海食崖が見られ,平地に乏しい。人の住む父島母島亜熱帯植物が繁茂し,世界に 1属1種の珍種ワダンノキの自生地もあるが,ほかの島々は植物の種類は多くない。カツオマグロの好漁場を控え,重要な漁業地として知られる。熱帯果樹,観葉植物なども栽培されて,将来は漁業地,観光地として開発の期待が大きい。沖ノ鳥島(北緯 20°25′)は日本の南端で,南鳥島(東経 153°59′)は日本の東端。ほぼ全域が小笠原国立公園に属し,14地区(面積約 7.8km2)が海域公園地区に指定されている。硫黄列島の南硫黄島は全島が国の天然記念物で,原生自然環境保全地域に指定されている。2011年ほぼ全域が世界遺産の自然遺産に登録された。父島の二見港から東京,母島への定期便がある。面積 106.88km2。人口 2929(2020)。

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