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氷上塩焼 ひかみのしおやき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

氷上塩焼
ひかみのしおやき

[生]霊亀1(715)
[没]天平宝字8(764).9.18.
奈良時代の廷臣。新田部親王 (天武天皇皇子) の子。一時,事に座し,伊豆三島に配流されていたが,天平 17 (745) 年許され翌年正四位下に復した。天平宝字1 (757) 年には皇太子の候補にもなった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

氷上塩焼 ひかみの-しおやき

塩焼王(しおやきおう)

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世界大百科事典 第2版の解説

ひかみのしおやき【氷上塩焼】

715?‐764(霊亀1?‐天平宝字8)
奈良時代の賜姓皇族。はじめ塩焼王と称した。新田部親王の子で廃太子道祖(ふなど)王の兄,妻は聖武の娘不破内親王,その子が志計志麻呂(しけしまろ),川継(かわつぐ)。733年(天平5)無位から従四位下となり,740年藤原広嗣の乱がおこって聖武天皇が伊勢,美濃,近江へ行幸したおり,御前次第司長官に任じられ,正四位下となる。742年恭仁(くに)宮から近江国紫香楽(しがらき)村への行幸にさいし御前次第司となるが,女孺のことで不興をかい女孺とともに平城京の獄に下され,ついで伊豆国三島に配流された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

氷上塩焼
ひかみのしおやき
(?―764)

奈良時代の官人。天武(てんむ)天皇の皇子新田部(にいたべ)親王の子。初め塩焼王という。道祖(ふなど)王の兄。妻は不破(ふわ)内親王。742年(天平14)事に座し伊豆国三嶋(みしま)に流されたが、4年後に許されて正四位下の本位に復した。757年(天平宝字1)3月皇太子道祖王が廃せられると、皇太子候補となったが、先に罪を得たという理由で退けられた。同年7月の橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の乱に加わり捕らえられたが、新田部親王の家門を絶つに忍びずとしてとくに許され、翌年には氷上真人(まひと)の姓を賜った。のち中納言(ちゅうなごん)に上り文部(もんぶ)(式部(しきぶ))卿(きょう)を兼ねたが、764年藤原仲麻呂(なかまろ)が謀反を起こして、塩焼をたてて今帝(いまのみかど)と称したため、仲麻呂とともに斬刑(ざんけい)に処された。なお、唐招提寺(とうしょうだいじ)は彼の宅(新田部親王旧宅)に建立されたものという。[平田耿二]

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