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橘奈良麻呂の変 たちばなのならまろのへん

百科事典マイペディアの解説

橘奈良麻呂の変【たちばなのならまろのへん】

橘奈良麻呂

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世界大百科事典 第2版の解説

たちばなのならまろのへん【橘奈良麻呂の変】

奈良時代の中ごろ,橘奈良麻呂を中心とするグループによって計画された藤原仲麻呂打倒未遂事件。745年(天平17)ごろから奈良麻呂は藤原氏の勢力に反発し,同志を募っていた。奈良麻呂らは阿倍内親王(光明皇后の女)が立太子している事実さえ無視していた。しかし749年(天平勝宝1)7月聖武天皇の退位によって孝謙天皇(阿倍内親王)が即位し,藤原仲麻呂は参議から一挙に大納言に昇進した。また,光明皇太后の大権行使のため,皇后宮職を紫微中台(しびちゆうだい)に発展改組し,長官に仲麻呂が就任した。

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世界大百科事典内の橘奈良麻呂の変の言及

【佐伯全成】より

…また752年の東大寺大仏開眼会には,大伴伯麻呂(おじまろ)とともに大伴・佐伯両氏の伝統に従って久米舞の舞頭を奉仕している。757年7月に,光明皇太后,藤原仲麻呂の政権打倒をはかる橘奈良麻呂の変がおこるが,全成はかねて橘諸兄・奈良麻呂父子と交渉があり,745年(天平17)以来,大伴・佐伯両氏の武力に頼ろうとする奈良麻呂から,再三にわたり陰謀への参加を働きかけられた。しかし全成は,佐伯氏の祖先以来の道にそむくとしてこれに従わなかったという。…

【奈良時代】より

… 仲麻呂はいっぽう橘奈良麻呂ら反仲麻呂派の動静にも警戒を怠らず,みずから紫微内相に任じて軍事権をも掌握したが,ついに757年(天平宝字1)に至るや,多くの密告情報をもとに機先を制して奈良麻呂ら反対派の一党を捕らえ,断罪して反乱を未然に鎮圧した。この橘奈良麻呂の変ののち大炊王は淳仁天皇として即位,仲麻呂は恵美押勝(えみのおしかつ)と称するとともに,やがて正一位大師(太政大臣)の極位極官に昇り,その専権が確立した。 しかしこの仲麻呂の権勢も光明皇太后の死を一つの契機として急速に下降しはじめ,内道場禅師として台頭してきた道鏡を寵愛する孝謙上皇と,これを批判する淳仁天皇が近江保良宮滞在中に不和となり,孝謙,道鏡や大伴,佐伯ら反仲麻呂派と,淳仁,仲麻呂派の対立は決定的となった。…

※「橘奈良麻呂の変」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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