サンスクリットのシュラーマネラśrāmaneraの音訳。日本では,本来,20歳未満で出家し,度牒(どちよう)をうけ,十戒を受け,僧に従って雑用をつとめながら修行し,具足戒をうけて正式の僧侶になる以前の人をさす。女性の場合は沙弥尼と称す。僧尼令では,僧・尼の注釈に沙弥・沙弥尼を加えており,僧尼と同じ扱いをうけているが,実際は僧の下に従属し,律師以上の僧官には従僧以下,沙弥と童子が配されていた。
具足戒を受けず,沙弥のままいた人々も多く,また正式のルートによらないで出家した僧(私度僧(しどそう))は私度の沙弥とか在家沙弥と呼ばれた。この私度の沙弥は8世紀以降とくに輩出し,ある者は正規の手続をへて官寺の僧となり,ある者は官寺や僧綱制の外縁にあって,古代の民間仏教を支える基礎となった。たとえば《日本霊異記》の著者景戒(けいかい)は,薬師寺の僧となるまでは,在地にあって妻子を養っていた私度の沙弥の一人だった。日本では,沙弥といえば在家の沙弥としてとらえることが多いが,これも以上の社会現象を背景としている。11世紀後半から中世になると,僧と沙弥は僧侶集団内部の地位の別ではなく,一般的には沙弥は在家の入道者と同じ意味に用いられることが多くなった。妻帯して子供を持ち,俗人と変わらぬ生活を営む僧や在家の入道を沙弥と称し,彼らは《法華験記》や《今昔物語集》や往生伝などにしばしば登場する。在家沙弥の典型として播磨国賀古の教信沙弥が妻子を養い,俗人の生活をおくりつつ念仏を唱えて極楽往生をとげた話は有名である。沙弥といわれる人々は,貴族や武士,在地領主,猟師,農民,下人など階層的には実にさまざまであり,また諸地方に広がっている。その信仰形態や修行も一様ではなく,阿弥陀・観音・地蔵信仰から種々の持経者,さらに雑信仰の分野にまで広がる。ただし,その基底となる救済への指向が,法然や親鸞へとつづく中世浄土信仰成立の基盤となり,とくに在家主義を標榜した親鸞は教信を念仏者の理想像としたといわれる。
僧侶集団のなかでの沙弥は,中世では戒律を重んじた禅寺や律苑でみられ,禅寺では僧に近侍した少年僧を沙弥とか沙弥喝食(かつしき)と呼び,律苑では典蔵(てんぞ)の下位に沙弥という僧の職制が置かれた。だが,中世禅宗でも,その外護者(げごしや)である守護や地頭級の武士のなかには,参禅して剃髪し,道号をうけ,沙弥何某と称し,法体のまま従前どおり守護や地頭の職務を遂行し,あるいは戦場にのぞんだ人も多かった。しかし,このような古代や中世における沙弥の活躍も,近世に入ると史上から影をひそめた。
執筆者:藤井 学
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…浄土や山岳を,現世を超えた〈他界〉として絶対視する観念に支えられたものである。平安時代以降,世俗化した寺院を離脱し,あるいは沙弥(しやみ)として教団・寺院の組織に入らぬままで信仰生活を送る者がふえた。彼らを遁世者(とんせいしや)と呼ぶ。…
…仏門に入って僧尼となることである。仏教徒の集団を構成する七衆のうち在家の優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)を除く,比丘(びく),比丘尼,式叉摩那(しきしやまな),沙弥(しやみ),沙弥尼の五衆は出家のなかに入る。鬚髪(しゆはつ)を剃り,墨染など壊色(えしき)に染めた衣をまとう状態になるので剃髪染衣(ていはつぜんえ)といい,とくに王侯貴族の出家は落飾(らくしよく)という。…
…
[インド]
教団の構成員は出家修行者たる比丘(びく),比丘尼(びくに)と在家信者たる優婆塞(うばそく),優婆夷(うばい)の4種で,合わせて四衆とよぶ。また,修行者のうち未成年者を沙弥(しやみ),沙弥尼といい,女性で入団1年未満のものを式叉摩那(しきしやまな)とよび,これらを別出して七衆ともいう。比丘は満20歳に達し,具足戒を受けた者,比丘尼は同様な女性をいう。…
※「沙弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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