法宣寺(読み)ほうせんじ

日本歴史地名大系 「法宣寺」の解説

法宣寺
ほうせんじ

[現在地名]八街市根古谷

鹿島かしま川支流の弥富やとみ川右岸にある日蓮宗寺院。妙長山と号し、本尊は十界勧請諸仏像。「本土寺過去帳」に、文明一八年(一四八六)一二月八日付で「粟飯原御家中法宣寺日税旦那」がみえるなど、寺名が散見する。寺伝によると康正二年(一四五六)平賀ひらが(現松戸市)本土ほんど寺の日意が日蓮像を持って布教のために塩古しおこ郷を通ったとき、根古谷ねごや城主原信濃守の子が病に伏していたので平癒祈願を行い病を治した。


法宣寺
ほうせんじ

[現在地名]熊本市川尻町 横町

よこ町筋に南面して寺地がある。常妙山と号し日蓮宗、本尊十界大曼荼羅。俗に清正せいしよう寺という。初め下益城しもましき三十町さんじつちよう(現宇土市)にあったが、加藤清正の在世中に廻江まいのえ(現下益城郡富合町)藤井家によって現在地に移されたという。「国誌」には「法華宗本妙寺末寺也、寺領四斗五升、河尻横町ニアリ、慶長十八年建立之、開山ハ本妙寺ノ開山発星山日真上人ナリ、年貢免許ノ地、外ニ九畝余ハ年貢地也、本妙寺末頭三ケ寺アリ、八代本成寺、高瀬妙法寺、当寺トモニ三ケ寺也」とある。楼門式の山門は寛延二年(一七四九)の建立、本堂は享和元年(一八〇一)の再建、本堂の正面須弥壇上には釈迦・多宝坐像、四力士立像・四天王立像と文殊普賢菩薩坐像が並んでいる。


法宣寺
ほうせんじ

[現在地名]五霞村元栗橋

栗橋くりはし城跡の東に所在。正長山恭山院と称し日蓮宗。本尊日蓮大菩薩。山門の左右に延享三年(一七四六)と安永四年(一七七五)の「南無妙法蓮華経」と刻む石塔が立つ。境内に本堂・鐘楼・霊園地などがある。

寺伝によると開山は日在。寺蔵の妙法蓮華経釈迦牟尼仏多宝仏、文殊・普賢、日蓮の像は応永二年(一三九五)九月一五日の創建に際し、大檀那である鎌倉公方足利持氏が寄進したものと伝える。


法宣寺
ほうせんじ

[現在地名]福山市鞆町後地

小松こまつ寺の南東江浦北えのうらきたにあり、大覚山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼荼羅。貞治年中(一三六二―六八)もしくは延文三年(一三五八)に竜花樹院大覚の草創と伝える(福山志料)近世には二畝一〇歩の除地を認められていた(備陽六郡志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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