津堂城山古墳(読み)ツドウシロヤマコフン

デジタル大辞泉 「津堂城山古墳」の意味・読み・例文・類語

つどうしろやま‐こふん〔つダウしろやま‐〕【津堂城山古墳】

大阪府藤井寺市津堂にある、4世紀の古墳古市古墳群を構成するもっとも古い前方後円墳で、長さ208メートル、高さ17メートル。竪穴たてあな式石室が発見されたほか墳丘斜面から水鳥型埴輪はにわなどが出土允恭いんぎょう天皇を被葬者候補とする陵墓参考地に指定されており、宮内庁が管理する。

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日本歴史地名大系 「津堂城山古墳」の解説

津堂城山古墳
つどうしろやまこふん

[現在地名]藤井寺市津堂

古市ふるいち古墳群中最も北に位置し、群中では羽曳野はびきの市の誉田御廟山こんだごびようやま古墳(応神天皇陵に治定)に次ぐ規模をもつ。前方後円墳。国指定史跡。南東面し、墳丘の全長二〇五メートル、前方部の幅一二〇メートル・高さ一〇メートル、後円部の直径一二六メートル・高さ一五メートル。幅約五〇メートルの周濠がめぐらされ、さらに外側には幅約九〇メートルの周庭がめぐる。最近の調査でこの周庭部分には外濠が埋まっていることが明らかとなった。後円部中央に竪穴式石室があり、長持形石棺が納められる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「津堂城山古墳」の意味・わかりやすい解説

津堂城山古墳
つどうしろやまこふん

古市(ふるいち)古墳群の北端、大阪府藤井寺市大字津堂に位置する古墳。同古墳群中の巨大古墳では築造年代がもっとも古く、4世紀末を下らない。中世には三好(みよし)氏の城郭に利用された。国指定史跡だが、後円部上段は宮内庁管理下にある。墳丘長208メートル、後円部径128メートル、前方部幅121メートル、周堀(しゅうぼり)が二重に巡り、墓域の広さは432メートル×352メートルに達する。くびれ部の両側に造り出しを伴うほか、前方部左右の内堀の中に方形陪塚(ばいづか)があり、その斜面に水鳥形埴輪(はにわ)が置かれていた。そのほかにも形象埴輪円筒埴輪が多数知られる。1909年(明治42)後円部で長持(ながもち)形石棺を納めた竪穴(たてあな)式石室が発見され、坪井正五郎らが調査を行った。棺内には朱が充満し、銅鏡8面以上、巴形(ともえがた)銅器、矩形(くけい)銅板、円形銅板、銅製弓弭(ゆはず)、矢筈(やはず)、櫛(くし)、車輪石鍬形石(くわがたいし)、滑石製勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、臼玉(うすだま)、刀剣類多数、刀子(とうす)、短甲(たんこう)などが出土し、その一部が宮内庁に保管され、埴輪などの一部は大阪府と藤井寺市に保管されている。

[石部正志]

『原島礼二・石部正志他著『巨大古墳と倭の五王』(1981・青木書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「津堂城山古墳」の意味・わかりやすい解説

津堂城山古墳
つどうしろやまこふん

大阪府藤井寺市津堂にある前方後円墳。墳丘の全長約 208m,後円部の径約 128m,前方部の幅約 117mもある大きな古墳で,周濠,土堤もめぐらされていたが,後年農地化,宅地化が進み,近年は公園として整備されている。1912年に長持形石棺を納めた竪穴式石室が発見され,石棺内には,刀,剣が,石室内には鏡,車輪石,刀,銅鏃巴形銅器などが入れられていた。国指定史跡。羽曳野市にまたがる古市古墳群(→古市)を構成し,2019年世界遺産の文化遺産に登録。

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百科事典マイペディア 「津堂城山古墳」の意味・わかりやすい解説

津堂城山古墳【つどうしろやまこふん】

大阪府藤井寺市津堂にある4世紀末―5世紀初の前方後円墳(史跡)。古市(ふるいち)古墳群の一つ。全長208m,周囲に濠,堤をめぐらす。葺石をもち,円筒埴輪,朝顔形埴輪のほか,衣蓋(きぬがさ)・翳(さしば)などの形象埴輪も出土している。主体部は長持形石棺を収めた,竪穴(たてあな)式石室で,銅鏡,管玉,車輪石などの副葬品が多く出土した。
→関連項目古市古墳群

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