社伝によれば、神功皇后が新羅に出兵するに際して海上から和多都美神を祀り、その帰途に幡八流を当地に祀らせたのが始まりと伝え、日本における八幡宮創祀の地であるという。のち国府の
「日本国一宮記」に「和多都美社 八幡宮也」とあり、諸国の例のように平安後期より対馬一宮と称されていたのかは明らかでないが、文亀三年(一五〇三)成立の「延喜式神名帳頭註」にも「和多都美 八幡大神也」とある。この和多都美は上県郡の和多都美御子神社で、これが上津八幡宮となり、対馬の一宮として中世にあっても公的な勢力の庇護を受けていた。治承三年(一一七九)一月対馬守に任じられた藤原親光はその在任中に八幡宮以下の鎮守諸大明神六〇余社の宝殿を修理している(「吾妻鏡」文治二年五月二日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長崎県対馬(つしま)市峰町(みねまち)木坂(きさか)(対馬島中部)に鎮座。豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、彦火火出見(ひこほほでみ)尊、宗像(むなかた)神、道主貴(みちおみのむち)神を祀(まつ)る。仁徳(にんとく)天皇の治世、来襲した異国船を撃退したことにより、本社が創祀(そうし)されたと伝える。『延喜式(えんぎしき)』所載の名神(みょうじん)大社で、870年(貞観12)に正(しょう)五位下(げ)を奉叙された。中世には八幡宮(はちまんぐう)を称し、対馬国の一宮(いちのみや)であった。1871年(明治4)に国幣中社に列格。例祭は旧暦8月5日で、神幸(じんこう)式や浜殿放生(はまどのほうじょう)祭などがある。社宝の銅造釈迦如来(しゃかにょらい)立像(新羅(しらぎ)仏)は国の重要文化財に指定されている。
[熊谷保孝]
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…林業ではシイタケ栽培が中心。木坂の海神(わだつみ)神社は対馬一宮で,古くは木坂八幡と呼ばれた。境内の宝物館には国の重要文化財の銅造如来立像をはじめ多くの文化財が収蔵され,周辺は県の〈野鳥の森〉に指定されている。…
※「海神神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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