改訂新版 世界大百科事典 「漆紙文書」の意味・わかりやすい解説
漆紙文書 (うるしがみもんじょ)
漆の硬化作用によって,地中に遺存した紙の文書。古代では,これらの紙は役所の公文書であることが多く,その資料的価値は高い。1978年に古代東北地方の政治,軍事の中心であった多賀城の遺跡(宮城県多賀城市)ではじめて発見され,全国的に注目された。温暖多湿な日本では紙が地中に遺存することはまれであり,今まで古代の紙が地中から出土した例は,経塚(きようづか)に埋納された経巻程度である。多賀城跡で紙片が多数発見されたのは,紙に漆が付着していたためである。これらの紙は,漆塗りの作業過程で漆液の表面に密着させ,漆の硬化・乾燥をおさえるための〈ふた紙〉として再利用された役所の公文書の反故(ほご)紙であり,漆がしみ込み,天然の樹脂硬化をうけ,1000年以上も土中に遺存した。また,漆を漉(こ)すためにも紙が用いられる。出土する漆紙は茶褐色をなし,一見するとごわごわしたなめし皮のようである。多賀城跡からこれまでに発見されている漆紙文書の多くは時期的には奈良時代後半に集中し,内容的には,米や武器などの請求または貢進文書が多い。ほかには,計帳(けいちよう),田籍関係文書や古代の暦の断簡などがあり,古代の地方の役所の実態を知る好史料である。
漆紙文書は漆が紙に偶然付着したために残ったのではなく,漆塗りの作業過程で漆がしみ込んで残ったのであるから,今後,新たな考古遺物として全国各地の遺跡から出土する可能性がある。すでにその後,胆沢(いさわ)城跡(岩手県),秋田城跡(秋田県),鹿の子C遺跡(茨城県),長岡京跡(京都府),平城宮跡(奈良県),吉田南遺跡(兵庫県)など,全国の古代の役所跡から相次いで発見され,さらに下窪(したくぼ)遺跡(宮城県)のようなごく一般的な古代の集落跡と思われる遺跡からも出土するに至っている。以上の発見例は古代の遺跡に限られているが,和紙を漆の〈ふた紙〉として利用することは現在でも行われているだけに,中世以降の文書の発見の可能性もある。古代の漆紙文書は,断片であるが正倉院文書などの現存する史料に照らして,ある程度内容を復元できる点にも大きな特色がある。戦後の古代史研究は木簡の発見で大きな前進を見たが,漆紙文書の発見も木簡に劣らない意義をもち,新しい古代史の資料として注目されている。なお,漆紙文書に赤外線を照射し,赤外線テレビカメラで撮影すると,肉眼ではほとんど墨痕の認められないものがブラウン管に明瞭に文字が映し出され,解読作業がきわめて容易である。
執筆者:平川 南
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報