義経伝説に登場する盗賊。牛若丸が金売吉次に伴われて奥州の藤原秀衡のもとへ下る途中,吉次の荷物をねらう長範一行に襲われたが,牛若丸の活躍によって長範は討ちとられたという。長範が牛若丸を襲う場所は美濃国青墓(幸若舞《烏帽子折》,謡曲《現在熊坂》)とも同国赤坂(謡曲《烏帽子折》《熊坂》)とも伝える。《義経記》では盗賊の名を長範とせず,藤沢入道と由利太郎とし,場所は近江国鏡の宿とされる。生国は越後と信濃の境にある熊坂(現,長野県上水内郡信濃町熊坂)とも加賀の熊坂(現,石川県加賀市熊坂町)とも伝える。伝説は各地にあるが,なかでも美濃の青野ヶ原の熊坂長範物見の松が有名で,近くには長範の腰掛岩,長範のかくし馬屋などもあった(《新撰美濃誌》など)という。現在は岐阜県不破郡垂井町綾戸にこの物見の松がある。歌舞伎には《熊坂長範物見松》などがある。
執筆者:山本 吉左右
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生没年不詳。平安末期の大盗賊。実在の人物として証拠だてるのは困難であるが、多数の古書に散見し、石川五右衛門と並び大泥棒の代名詞の観がある。出身地は信州熊坂山、加賀国の熊坂、信越の境(さかい)関川など諸説ある。逸話に、7歳にして寺の蔵から財宝を盗み、それが病みつきになったという。長じて、山間に出没しては旅人を襲い、泥棒人生を送った。1174年(承安4)の春、陸奥(むつ)に下る豪商金売吉次を美濃青墓(みのあおはか)の宿に夜討ちし、同道の牛若丸に討たれたとも伝わる。この盗賊撃退譚(たん)は、義経(よしつね)モチーフの一つではあるが、俗説の域を出ない。謡曲『烏帽子折(えぼしおり)』『熊坂』、能狂言『老武者』、歌舞伎(かぶき)狂言『熊坂長範物見松(ものみのまつ)』は長範を扱って有名。
[稲垣史生]
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(飯沼賢司)
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…その後,青墓の宿に泊まるが,宿の長者は義朝の妾満寿で,牛若の吹いた笛のことから用明天皇の草刈笛の由来を語り,牛若を義朝をまつる光堂に案内する。牛若はそこでまどろみ,夢中に義朝,悪源太,朝長の3人が現れ,熊坂長範が率いる盗賊が吉次を襲うことを告げる。夢からさめた牛若はひとりで盗賊を討ち滅ぼす。…
…作者不明。シテは熊坂長範の霊。旅の僧(ワキ)が美濃の赤坂にさしかかったとき,別の僧(前ジテ)に呼び止められ,今日はある者の命日だから弔いを頼むと言われ,その草庵に導かれる。…
※「熊坂長範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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