広福寺(読み)こうふくじ

日本歴史地名大系 「広福寺」の解説

広福寺
こうふくじ

[現在地名]玉名市石貫 清水

小岱しようだい山系観音かんのん(四七三メートル)の東麓に位置する。山号は紫陽山、曹洞宗本尊釈迦如来坐像(釈迦三尊のうち)開山は大智祖継。もと永平寺末。開創については、(一)年月日未詳の菊池武時寄進状(広福寺文書)を基に元徳二年(一三三〇)少林・永平の古風を伝えんとする大智の志に共鳴した武時が大智を招き寺地を寄進したことに始まる。(二)聖護しようご(現菊池市)のある菊池郡以外に寺を建つべしとの武時未亡人慈春尼の遺志によって、庶子の武澄の夫人了悟尼が大智に寺地を寄進し開山したという文中二年(一三七三)一二月一三日の菊池武安寄進状(同文書)などに基づく説。(三)観応二年(一三五一)武時の開基とする両説を折衷した「一統志」の説などがある。(一)は古来、寺記として確立しているが、武時の寄進状案は文書の形式上疑点が多い。前身に石貫いしぬき寺があったものの、広福寺として本格的に確立するのは、了悟尼による寺地・寺領の寄進、すなわち武澄没後の正平一二年(一三五七)の段階であったとみるべきであろう。正平八年一二月五日の比丘尼慈春置文(同文書)には「きくちのうちに、そうひくに(僧・比丘尼)のてらちかく候ハヽ、ミらいのふつほう(仏法)あた(仇)たるへきあいた」と建立の意趣が記される。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]亀田郡戸井町字小安町

津軽海峡を望む海岸近くにある曹洞宗寺院。法輪山と号し、本尊釈迦如来。「渡島国地誌提要」に載る小安おやす能化のうけ庵にあたる。同書によると箱館高龍こうりゆう寺末、寛政四年(一七九二)同寺一一世禅海の開基。「北海道志」巻一〇は寛政元年豊眠の開基とする。明治時代に石崎いしざき善宝ぜんぽう(現函館市)、戸井村法泉ほうせん寺、尻岸内しりきしない高岸こうがん(現恵山町)椴法華とどほつけ大龍だいりゆう(現椴法華村)が造立されるまで、しも海岸全域の曹洞宗寺院として約三八〇戸の信徒を教化した。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]久遠郡大成町字都

日本海に面した海岸段丘にある。曹洞宗。浄聖山と号し、本尊釈迦如来。一八六〇年(万延元年)乙部おとべ長徳ちようとく(現乙部町)の大賢が松前寿養じゆよう寺一七世法孫の鶴峰浩然の協力を得て三十三観音の安置を計画、第一番として一艘澗いつそうま村の石橋松兵衛が建てた観音堂に安置したのを前身とする。寿養寺の出張庵であったが、明治二年(一八六九)からの筑前福岡藩支配の折、出張所役員の広瀬・福本両者の姓にちなんで広福寺、山号を浄聖山と称し、鶴峰を開山、初代住職を泊川とまりかわ(現熊石町)薬師堂鑑坊人の増田転秀とした。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]武雄市武雄町富岡

さくら山(蓬莱ほうらい山)南麓にある。広福護国禅寺と称す。本尊は延命地蔵菩薩。臨済宗南禅寺派。初め三宝山といわれたが、のち蓬莱山広福寺と改める。創建は仁治三年(一二四二)と伝えられ、塚崎つかざき城主八代の後藤直明が敷地を提供し、聖一国師を開山とした。

当時の武雄温泉は、この寺の境内地で、元旦にはこの寺の住職が読経し、初湯を使うならわしで現在も続いている。

寺には四天王像(木彫、国の重要文化財)があり、寺伝によれば運慶作という。玉眼、極彩色の寄木造である。山門には弘安の役の時賜った後宇多天皇の勅額「敵国降伏」が掲げられている。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]宇部市大字中山

中山なかやまの盆地の北側、山寄りにある。真言宗御室派で明王山と号し、本尊は聖観音菩薩。

「注進案」所収の縁起によれば文武天皇の時、役行者が諸国巡歴の途中、延命地蔵尊(現護摩堂本尊)を彫刻、一宇を建立したのに始まる。天平一三年(七四一)地蔵院と号し、平安時代に真言宗となる。本尊聖観音は推古天皇一九年、大内氏の先祖にあたる百済国琳聖太子がもたらしたものと伝える。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]多摩区枡形六丁目

多摩川右岸の丘陵枡形ますがた山の北斜面にある。松本山と号し、真言宗豊山派。本尊は五智如来坐像。「風土記稿」「江戸名所図会」は慈覚大師の開創、長弁阿闍梨の中興とするが確証はない。高田与清の「世田谷紀行」に「松本山(広)福寺にまうでぬ。観音堂の前の庭に大なる桜よもと、いつもとあり。花のころはこよなうめでたしとなんいふ。ここよりは玉川むさし野のながめ、目もはるにさはらふかげなし。


広福寺
こうふくじ

[現在地名]北区山田町四丁目

大応山と号し、黄檗宗。本尊十一面観世音菩薩。「徇行記」に「古、村控ノ庚申堂一宇アリテ、正徳年ノ比、太玄トイヘル黄檗僧堂守ヲシ、延享三寅年、先庵主仙瑞弟子秀山、願ニ依テ春日井郡味鋺村護国院ノ末寺庚申寺ヲココニ引移、改宗シテ大応山広福寺ト号、祖翁淡江ヲ開山トシ、黄檗山万福寺ノ末寺トナレリ」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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