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班田収授法 はんでんしゅうじゅのほう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

班田収授法
はんでんしゅうじゅのほう

律令国家による土地制度の根幹として,公民に一定額の田地を班 (わか) ち授け,収穫した稲を徴収することを定めた法。北魏以来発達した均田法 (→均田制 ) を母法とする。養老田令の規定では6年1班制をとり,戸籍に基づき6歳以上の良民の男子は2段 (たん) ,女子はその3分の2 (1段 120歩) ,官戸官奴婢は良民と同額,家人 (けにん) ,私奴婢は男女ともに良民の3分の1 (240歩) が班給された。その口分田 (くぶんでん) は受給者の死後収公されるが,次の班田年までは家族の耕作を許した。この班田制は,王臣家の大土地私有化に伴い口分田の不足を生じ,その維持が困難となったため種々施策を講じたが効果がなく,延喜2 (902) 年以降廃絶。

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百科事典マイペディアの解説

班田収授法【はんでんしゅうじゅほう】

律令制下の土地国有の原則のもと,国民一人当り一定額の田を貸与して耕作させ,死後収公する法。土地の集中を防ぎ,租税収入を確保する目的で,唐の均田法にならい,689年の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)施行後,戸籍の整備とあいまって,全国的に6年ごとに実施。
→関連項目均田法公地公民公田条里制大化改新白鳳時代律令制度

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防府市歴史用語集の解説

班田収授法

 律令[りつりょう]時代の国家から農民に田が貸し出される制度です。戸籍[こせき]に書かれた6歳以上の男女に与えられ、男子は2段[たん]、女子はその3分の2で、死後は返さないといけませんでした。しかし、9世紀になると、戸籍[こせき]をいつわったり、開墾[かいこん]による私有地が増えたりしたため、廃止になりました。

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世界大百科事典 第2版の解説

はんでんしゅうじゅほう【班田収授法】

日本古代の律令制において,各戸に生活の基盤を提供し徴税の基礎を確保するため,水田(例外的に陸田も)を班給し用益させる制度。
[班田収授法の内容]
 養老令の規定によると,6歳以上の戸籍登載者を対象として,男子2段(当時の1段は約12a),女子1段120歩(1段=360歩),賤民男子240歩,同女子160歩の基準によって口分田(くぶんでん)を算出し,戸ごとの合計額を戸主に対して班給した。ただし田地の不足している国では,これより少ない基準で班給することが認められた(郷土法)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

班田収授法
はんでんしゅうじゅほう

律令(りつりょう)制下に行われた土地制度の基本法。律令国家は全国の田を一元的支配のもとに置き、6歳以上の男女に、男子には二段(たん)(約23アール)、女子にはその3分の2(家人(けにん)・私奴婢(しぬひ)には良民男女のそれぞれ3分の1)を口分田(くぶんでん)として班給した。口分田は一生の間使用することを許し、死亡すれば収公した。これが班田収授法である。この法は律令制的土地制度の基幹であり、唐の均田制に倣って制定されたものである。
 班田収授法の成立については、かつては大化改新のときと考えられていたが、近時は、675年(天武天皇4)以降、実際には浄御原令(きよみはらりょう)(689年施行)において制定されたという見解が有力である。というのは、この法が実施されるためには公地公民制が確立していなければならず、その公地公民制は675年の部曲(かきべ)(一種の私有民)廃止によって初めて実現したと考えられるからである。
 班田収授法が浄御原令において制定された事情については、〔1〕貴族や豪族や富裕農民が土地を兼併するのを防ぐねらいがあった、〔2〕農民の最低生活を保証し、あわせて徴税の対象を確保することを配慮した、〔3〕天武(てんむ)・持統(じとう)朝の課題は、緊迫した国際情勢に対処するため軍国体制を早急に形成することにあり、農民の最低生活の保証はそのためにも必要であった、といった点が指摘されている。
 それでは班田収授法は具体的にはどのようにして行われたのであろうか。大宝・養老令の規定によると、班田収授は、6年ごとにつくられる戸籍に基づいて、同様に6年ごとに行われる。班田の年がくると左右京職・国司は正月30日以前にその旨を太政官(だいじょうかん)に上申し、10月1日から田数と班給を受ける人員を計算して帳籍をつくり、11月1日より田地を受ける人(実際には戸主)を集めて班給し始め、翌年2月30日以前に完了する。また死亡者の口分田の収公は、養老令では、死亡後最初の班田の年に行う、というものであった。
 班田収授法の実施された期間は200年以上に及び、10世紀初めの延喜(えんぎ)年間(901~923)に至って廃絶した。この間、班田収授法の施行には消長があり、制定以後、平安時代初頭まではほぼ規定どおり行われたこと、800年(延暦19)の班田を最後として全国一斉の班田は実施できなくなり、以後は律令制支配の衰退に伴って班田の施行はしだいに遅延し、ついにまったく行われなくなっていったことが明らかにされている。[村山光一]
『村山光一著『研究史班田収授』(1978・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の班田収授法の言及

【租】より

…ただし度量衡の変更によって種々の混乱が生じたので,706年(慶雲3)に〈束〉の量を律令制以前の制度に戻し,1段の田地から1束5把,2段(律令制以前の100代に相当)から3束の租稲を徴収することとした。班田収授法では6歳以上の男子に口分田を2段ずつ班給することになっていたが,上質な田の標準収穫量は2段につき100束であったので,田租3束はその3%にあたる。このように田租の率は低く,国衙の倉庫に収積されて賑給(しんごう)などにあてられるほかは,積極的な財政機能を果たさなかった。…

※「班田収授法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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