厚生労働省は、その年の死亡状況が今後変化しないと仮定し、各年齢の人が、平均してあと何年生きられるかの期待値を表す平均余命を算出し「生命表」として公表している。0歳児の平均余命が「平均寿命」。推計人口や人口動態統計のデータを用いた簡易生命表のほか、国勢調査の確定人口を基にした完全生命表、都道府県別、市区町村別の生命表がある。
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一国(または地方)に住む人々の生命の長短は基本的にはそれをとりまく自然的・社会的ならびに衛生学的諸環境のよしあしとそれに対する人間の対応のしかたによって左右されるもので,その測定手段の一つとして用いられているのが生命表である。ドイツおよびフランスではこれをSterbetafelnおよびtables de mortalitéと呼び,日本語に直訳すれば死亡表となる。生命表は通常,年齢(x)各歳別に,(1)生存数lx,(2)死亡数dx,(3)生存率px,(4)死亡率qx,(5)死力μx,(6)平均余命x,(7)静止人口(または定常人口)LxとTxの七つの統計指標(数学的用語では関数とも呼べる)を柱とした表で示される。生存数は明治期には生残数と呼ばれた。生命表では通例10万人の同時出生集団を前提として,七つの統計指標について算出する。これら統計指標間の諸関係を数式で示すと,一般に,
dx=lx-lx+1,qx=dx/lx,px=1-qx
(このうちpxはx歳に達した人がx+1歳まで生き残る確率)
で示される。また死力はゴンペルツGompertzとマカーンMakehamによって考えられたもので,x歳になった人が,その瞬間において死亡する確率を示す。これは,で求められる。静止人口には各歳のものLxと,x歳以上のLxを累加したTxとがあり,という関係がある。平均余命は生存(残)延年数でもあるこのTxを生存数lxで除したもの,すなわちx=Tx/lxである。ここで注意しなければならないことは,平均余命は静止人口,つまり毎年10万人が生まれ,生命表の死亡率に従って年々死亡していく,いいかえれば,その生命表の死亡率を生みだしたときの社会衛生的環境がその後も変わらないと仮定して計算されていることである。とくに,0歳の平均余命のことを〈平均寿命〉と呼んでおり,単なる平均値でない点に留意する必要があろう。
最も古い生命表はローマ帝国のウルピアヌスDomitius Ulpianusが364年に作成したといわれる年齢別平均余命表である。しかし,近代的な意味で初めて生命表を作ったのは,統計学の一大潮流の一つであるイギリスの政治算術学派の生みの親でもあるJ.グラントであるといわれる。彼は1662年《死亡表に関する自然的および政治的諸観察》を公刊した。この中に生命表の主軸となる年齢別死亡生存表などをみることができる。この学問系譜をさらに発展させた人にドイツのジュースミルヒJohann Peter Süssmilch(1707-67)がおり,1741年に《神の秩序》を刊行した。生命表との関係では,年齢別の死亡数をみる目が単なる数値として観察するのではなく,それを生みだした現実の社会生活とのかかわりあいで観察しようとする点で特徴点をもつ。一方,このような生命表の学問的な流れとは別個に,しかも独自に,数学の方向から生命表の近代的創造に貢献したのがオランダ人のウィトとイギリス人の天文学者E.ハリーである。前者は当時のオランダの財政危機を救うため,イギリスなどで行われていた生命年金を国家が行うという方策を考え,数千人の生命年金契約者から死亡法則を導いたとされ,これに由来する死亡表はグラントのそれより正確なもので,このためそれまでのウルピアヌスの生命表の方法はまったく用いられなくなってしまった。他方,ハリーはライプニッツを通じてノイマンKasper Neumanによるブロツワフにおける1687-91年の5ヵ年間の出生・死亡記録を入手し,満6歳以上の各歳別死亡数を示した。これらの生命表に関する諸成果は17世紀以降に発生した生命保険事業の発展や1748年スウェーデンで公式に始められた人口動態統計あるいは49年スウェーデンの第1回完全国勢調査の開始という時代背景下で,イギリス,アメリカを中心として,より正確な生命表の作成という方向に時代は動いていく。今日,生命表といえば大別して二つある。一つは世代生命表generation life tableまたはcohort life tableであり,もう一つは普通生命表current life tableである。前者は,ある年に生まれた人々を一つの同時出生集団とみなし,この集団が年々変動する自然的・社会的諸環境状態のなかで,加齢とともにどのように死亡数や生存(残)数を計上してきたかを示すものである。後者は,出生年次が異なる,換言すれば出生以降の諸環境状態が異なる0歳から100歳までの,ある年1ヵ年の死亡数,生存数をもとにして作ったもので,あたかも各年齢の死亡数,生存数などには出生数との間につながりがあるかのようにみえるだけで,実際は見かけ上つながっているだけである。この意味では後者は前者の代用物なのであるが,前者の世代生命表が完成するには100年が必要なので現実的に有効に活用できないので,両者の組合せ利用などが今後の課題といえよう。このほか,生命表には年齢各歳別の数値で示した完全生命表,年齢5歳階級別の簡易生命表がある。日本で最初の公式な完全生命表は,1902年矢野恒太(1865-1951。第一生命保険相互会社の創立者)によって作られた第1回生命表である。
執筆者:飯淵 康雄 日本では生命表は1902年以来,6度にわたって内閣統計局で作成されたが,第2次大戦後は厚生省に移管されて5年ごとに改訂され,現在に至っている。これに対して,生命保険会社の保険料算定の基礎とすることを目的として,生命保険会社の経験に基づいて作成された日本全会社生命表がある。ほとんどの生命保険の保険料は,81年3月に発表された第3回日本全会社生命表をもとに定められている(簡易生命保険は厚生省のものを使用)。この生命表は,1972年から76年までの経験に基づいて作成されており,日本全会社生命表としては初めて死亡率を男女別に計算している。二つの生命表の大きな違いは,前者は国民一般を統計対象とした国民生命表(国民表)で,後者は被保険者,加入者を統計対象とした経験生命表(経験表)である点にある(96年度から,日本アクチュアリー会編の〈生保標準生命表〉を基礎にしている)。
執筆者:佐々木 陽一
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人の命数は、個人の立場からすれば予測できないものであるが、集団的に観察した場合には、そこにはきわめて整然とした法則が支配していることがわかる。しかもこの法則は、観察の対象となる集団が拡大すればするほど明瞭(めいりょう)となる。このような観点から、人の命数の測定手段の一つとして、同一年齢者(普通は0歳)の一団(普通は10万人)をとり、その後、各年度初頭における生存数とその年度中の死亡数、それから算出される各年度の生存率、死亡率および平均余命などの生命関数を列記した表がつくられている。これが生命表であり、死亡表、死亡生残(せいざん)表ともよばれる。
[金子卓治・坂口光男]
生命表は、死亡統計、人口静態統計、人口動態統計および国勢調査に依存して作成される。今日の生命表には、国民全体を対象とし国勢調査などをもとに作成する国民生命表と、生命保険会社がその被保険者集団を対象として作成する経験生命表とがあり、性別に応じて男子表、女子表、男女合体表に分けられる。国民生命表のうち、国勢調査に基づいて各歳別に生命関数を算出したものを完全生命表、推計人口に基づいて年齢階級別(5歳、10歳など)に生命関数を算出したものを簡易生命表とよぶ。経験生命表はさらに、被保険者の全保険期間を対象とするか、加入後の一定期間を除外するかなどによって、選択表、截断(せつだん)表、総合表に分けられる。
[金子卓治・坂口光男]
生命表は、古くはローマ帝国時代にも作成されているが、初期のものは不完全なものであった。近代的な形式をとった生命表を初めて作成したのは、イギリスの天文学者E・ハリーである。彼は1687~1691年の5年間のブレスラウ(ブロツワフ)市の教会の記録を基礎にして、1693年に生命表(ブレスラウ表)を発表し、生命保険事業発展の基礎を築いた。生命表の作成には人口統計や死亡統計などの資料が整備されなければならないため、広範囲の国民を対象にした生命表がつくられるようになったのは1850年ごろになってからで、イギリスとアメリカにおいてである。その後、生命保険の発展に伴って死亡率の調査も保険の面から行われ、19世紀の後半には各国で多くの生命表がつくられるようになった。
日本で最初の公式の生命表は、1902年(明治35)に矢野恒太(つねた)が内閣統計局の依頼を受けて1891~1898年の資料によって作成した国民生命表である。その後、国民生命表は内閣統計局によって作成され、第二次世界大戦後は厚生省(現厚生労働省)に移管されて、第10回生命表(1960年発表)以降は5年ごとの国勢調査に基づく完全生命表のほか、毎年の人口動態統計の死亡数と推計人口から計算され毎年発表される簡易生命表がある。
経験生命表は1910年に日本、明治、帝国の3生命保険会社が、その創立時から1905年までの死亡経験をもとに作成した日本三会社表が最初のものである。その後1931年(昭和6)には、19生命保険会社の1912~1926年(大正1~15)の経験をもとに日本経験生命表が発表された。第二次世界大戦後は1969年(昭和44)に生命保険会社全社の1960~1963年の経験に基づいて日本全会社生命表(全会社表と略称)が作成された。その後、1974年に第2回、1981年に第3回の全会社表が作成され、1985年には1979~1980年の経験に基づいた第4回全会社表が発表されている。第2回のものまでは男子表のみであったが、第3回以降は男子表と女子表が作成された。現在は社団法人日本アクチュアリー協会作成の生保標準生命表2007が採用されている。
[金子卓治・坂口光男]
『山口喜一他編『生命表研究』(1995・古今書院)』
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…死【能村 哲郎】
[ヒトの寿命]
一般的にヒトの寿命というと,それは二つに分けて考えたほうがわかりやすい。一つは個人的な意味でのその人の生存能力の限界を表現する用語としてであり,他方は生命表でいう学問的な意味での統計的大量集団の生存能力の可能性を表現する用語としてである。その意味では,寿命という用語に対する社会的認識には若干の混乱があるといえよう。…
…当時は有限責任帝国生命保険会社)に次いで3番目に古い。それまで使われていた外国の生命表にかえて,東京帝大教授藤沢利喜太郎(1861‐1933)に作成を依頼した日本最初の日本人の生命表〈藤沢氏第二表〉を活用したことで有名。1891年日本生命保険(株)と改称,98年には日本で最初の契約者利益配当を行い,99年末には契約高が2300万円を突破し業界第1位となり,その地位を今日まで保っている。…
…ある年の男女別にみた年齢別死亡率が将来も続くと仮定して,各年齢の人たちがその後平均何年生きられるかを算定したもの。男女別,年齢別に生命表で示される。出生時の平均余命のことを,とくに平均寿命という。…
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