改訂新版 世界大百科事典 「目明し」の意味・わかりやすい解説
目明し (めあかし)
江戸時代に諸役人の手先になって,私的に犯罪の探査,犯罪者の逮捕を助けたもの。岡引(おかつぴき),御用聞,小者,手先ともいう。目明しとは目証(めあかし)の意味で,犯罪者に同類たる共犯者を密告させ,その犯罪を証明させたことに由来する。宝永・正徳(1704-16)ころ,京都で役人が町を巡るとき,囚人に編笠(あみがさ),腰縄(こしなわ)をつけて連れて歩き,共犯者を指名させ,その功で罪をゆるすことが行われ,これを目明しと呼んだのが最初で,この影響を受けて江戸でも行われるようになった。幕府は1712年(正徳2)以来,禁止令を出しているが,犯罪者を捜査に使うことはなかなか根絶せず,また犯罪者でない通常人も手先に使うことがひろく行われるようになった。
江戸では町奉行所,火付盗賊改がこれを使い,地方では関東取締出役の用いた道案内がよく知られる。町奉行所では,三回(さんまわり)(隠密回,定(じよう)回,臨時回)の同心が給金を与えて雇っておく私的な使用人であり,同心が自筆の鑑札を与えておくだけで,奉行所の吏員ではない。房のない十手をもって犯罪の探査をしたが,同心の命令がなければ逮捕はできなかった。勢力のある親分は多数の子分(下引)をもち,料理屋,絵双紙屋などを営んでいた。同心の出す給金は年1分くらいでわずかだが,吉原の遊女屋から月々に多額の金をもらい,また芸者,隠売女(かくしばいじよ)などから金を取り立て,大店(おおだな)の商人からは盆暮の付届けがあった。三回の同心は少数なので,江戸の治安を維持するうえに目明しが大きな寄与をしたことは疑いないが,弊害も多く,引合抜(ひきあいぬき)といって犯罪の引合(かかり合い)の者から金を取って事件から除外してやったり,債権者から礼金をもらって借金の取立てを頼まれたり,自宅で寺銭を取って博奕を開帳したりした。幕府は表向きは目明しを禁止したが,これがいなくては捜査活動に支障があるため黙認していた。1867年(慶応3)の調査によれば,南北町奉行所合わせておもだった目明しが381人,子分を加えれば1000人にも達している。
執筆者:平松 義郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報