室町時代の僧。天台真盛宗の祖。伊勢(いせ)国(三重県)の人。14歳で出家してから台密を学び、1461年(寛正2)19歳で比叡山(ひえいざん)に登り、とどまること20余年、ことごとく学び尽くす。1483年(文明15)には黒谷青竜寺に入り、日課として念仏六万遍を勤める。1485年には伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)から源信の『往生要集(おうじょうようしゅう)』を授かる夢をみ、これに傾倒。翌1486年源信とゆかりのある西教寺(さいきょうじ)に入り、戒と念仏の一致を称揚し、ここに天台宗真盛派の基礎を開き、西教寺の復興に力を尽くした。また各地に戒と念仏の一致を説き広め、1495年(明応4)伊賀(三重県)西蓮寺(さいれんじ)の念仏法会(ほうえ)の途中に寂した。1506年(永正3)円戒国師の号を賜る。
[平井宥慶 2017年8月21日]
室町時代の天台宗の僧。天台真盛派(現在は天台真盛宗)の祖。〈しんせい〉ともいう。伊勢国一志郡に生まれ,7歳で同郡川口の光明寺に入り,14歳で得度,尾張国に出て台密を学び,1461年(寛正2)比叡山に上った。20年間山を下らず,伝灯法師の位に進んだが,83年(文明15)黒谷青竜寺に隠棲,2年後に浄土院の伝教大師廟に参籠し,夢中に最澄より源信の《往生要集》を示され,念仏に専念するようになった。86年源信ゆかりの近江坂本西教寺を再興,のち近江,伊賀,伊勢,越前,加賀など各地に教化,説戒念仏の道場を多数開き,伊賀国西蓮寺に没。称名念仏と戒法を重んじ,〈戒称一致〉を説いた。皇室や武家に帰依者が多く,生前に後土御門天皇から上人号を賜り,1506年(永正3)円戒国師,1883年(明治16)慈摂大師の諡号(しごう)を贈られた。著作は《奏進法語》《念仏三昧法語》など。
執筆者:伊藤 唯真
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…滋賀県大津市にある天台真盛宗の総本山。山号は戒光山。…
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