シャルパンティエ(読み)しゃるぱんてぃえ(英語表記)Emmanuelle Marie Charpentier

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャルパンティエ」の意味・わかりやすい解説

シャルパンティエ(Emmanuelle Marie Charpentier)
しゃるぱんてぃえ
Emmanuelle Marie Charpentier
(1968― )

フランスの生物学者。フランス北部エソンヌ県ジュビジー・シュロルジュ生まれ。1992年パリのピエール・エ・マリー・キュリー大学(パリ第六大学。2018年以降ソルボンヌ大学)で生化学、遺伝学、微生物学を学び卒業。同大学大学院で学ぶかたわら、パスツール研究所で研究者としての第一歩を踏み出し、1995年微生物学の博士号を取得。1996年以降、ロックフェラー大学ニューヨーク大学などで研究員として働き、2002年にオーストリアのウイーン大学の客員教授、その後、助教授、准教授。2009年からスウェーデンのウメオ大学准教授、客員教授。2013年ドイツのヘルムホルツ感染研究センター部門長、ハノーバー医科大学教授、2015年マックス・プランク感染生物学研究所所長、2018年からは新たに設立された同研究所病原体科学研究所長。

 研究者の道に進んだシャルパンティエの興味は、病原体となる細菌がなぜ薬剤耐性を獲得するのか、どうすれば治療できるかだった。とくに「人食いバクテリア」と恐れられる溶血性連鎖球菌溶連菌。化膿(かのう)連鎖球菌)に着目し、遺伝子がどのように制御されるかを研究した。2000年代初め、当時あまり注目されなかったCRISPR(クリスパー)に関心をもち、2011年に細菌の中に小さなRNAリボ核酸)が大量に存在することを確認。その一つが、CRISPRの配列と一致するRNA(クリスパーRNA)であった。そのほかに別のRNA(tracr(トレーサー)RNA)、さらにCRISPR近くに存在するタンパク質(酵素)Cas9(キャスナイン)などを発見した。仕組みの詳細は不明だったが、これらが細菌の免疫システムの重要な鍵(かぎ)を握っていると予測していた。

 CRISPRは、大阪大学名誉教授中田篤男(なかたあつお)と、九州大学教授石野良純(よしずみ)(1957― )らが1987年(昭和62)に大腸菌ゲノムの中で発見した塩基の繰り返し配列である。当時はなんのためにCRISPRがあるのか不明だったが、その後多くの細菌や古細菌でも発見され、しかも繰り返し配列にはさまれた部分(スペイサー)が、さまざまなウイルス由来の配列と一致したことから、細菌がウイルスの感染を阻止するためにウイルスのDNAを記憶する、免疫の一部を担っているとみられていた。

 シャルパンティエは、RNA研究の第一人者で、CRISPRにも関心を示していたカリフォルニア大学バークレー校の教授ジェニファー・ダウドナに共同研究をもちかけた。ダウドナは、CRISPRの周辺にあるCasという遺伝子群が、DNAを切断したり、ほどいたりするタンパク質をコードする遺伝子配列にとてもよく似ていたことから、Cas9が侵入してきたウイルスのDNAの切断に関与しているとみていた。

 2011年から共同研究をスタートさせた二人は、クリスパーRNAとtracrRNA、およびCas9がウイルスのDNA切断に不可欠で、Cas9は鋏(はさみ)のような働きをしていることをつきとめ、2012年に発表。tracrRNAと、クリスパーRNAのねらった部位を人工的に融合させて、「ガイドRNA」を作成し、それに導かれて、ねらった部位をCas9が切断することを確認した。これまでは制限酵素(DNA鎖の特定の塩基配列を認識して鎖を切断する酵素)で、DNAの特定部位を切断するには大きな手間がかかっていたが、簡単な手法でねらった部位を切断することが可能になった。二人が開発したCRISPR/Cas9の技術は、ねらったDNAの部位を、文章を編集するように切断したり、新たに挿入したりできることから「ゲノム編集」とよばれる。

 この成果を報告すると、世界の研究チームがこの技術を使い、マウスやヒトのゲノムを改変する研究が広がった。農作物や魚類の品種改良のほか、遺伝子が関与する病気の発症メカニズムの解明、遺伝子を改変した細胞を用いたがん免疫療法などへの応用がすでに始まり、成果が期待されている。しかし、一方で中国で、この技術を使ってHIV(エイズウイルス)耐性遺伝子をもつ双子を誕生させたとの報告があり、世界中から非難を浴びた。ゲノム編集に関連した安全性や倫理面に対する懸念の議論も巻き起こっている。

 シャルパンティエは、2015年スウェーデン王立科学アカデミー会員。2016年ガードナー国際賞、2017年日本国際賞、2018年カブリ賞(ナノ科学部門)、2020年ウルフ賞を受賞したほか、「ゲノム編集技術を開発した」功績で、ダウドナとともにノーベル化学賞を受賞した。

[玉村 治 2021年2月17日]


シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier)
しゃるぱんてぃえ

シャルパンチエ


シャルパンティエ(Gustave Charpentier)
しゃるぱんてぃえ

シャルパンチエ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルパンティエ」の意味・わかりやすい解説

シャルパンティエ
Charpentier, Emmanuelle

[生]1968.12.11. ジュビジー=シュロルジュ
エマニュエル・シャルパンティエ。フランスの生物学者。フルネーム Emmanuelle Marie Charpentier。ジェニファー・ダウドナとともに,ゲノム編集の遺伝子改変技術クリスパー・キャスナイン CRISPR-Cas9を開発した。2012年のクリスパー・キャスナインの発見は,ゲノム編集技術の基礎を築き,それ以前の遺伝子配列組み換えの手段に比べ,はるかに効率的で,かつ技術的に簡易な方法でデオキシリボ核酸 DNA配列に精密な変更を加えることができるようになった。これらの功績により,シャルパンティエとダウドナは 2020年ノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。
ピエール &マリー・キュリー大学(現パリ第6大学。→パリ大学)で学び,1992年に生化学の学位を取得した。1995年に微生物学の博士号を取得。博士研究員として,パスツール研究所やニューヨークのロックフェラー大学に所属した。ニューヨーク大学医療センターの研究員を務めたあと,テネシー州メンフィスのセントジュード小児研究病院で,その後はニューヨークのスカーボール分子生物医学研究所で研究を続けた。
2002年にヨーロッパに戻り,ウィーン大学に研究職を得た。この時期に,化膿レンサ球菌(→球菌)の毒性因子を制御するリボ核酸 RNA分子を発見した。その後,化膿レンサ球菌のゲノム内に新規の小分子RNAを特定し,化膿レンサ球菌の免疫システムの一種であるクリスパーシステムの研究を始めた。研究の結果,化膿レンサ球菌のクリスパーシステムは,クリスパーRNA(crRNA),トランス活性化型クリスパーRNA(tracrRNA),キャスナイン Cas9と呼ばれる蛋白質の三つから構成されていることがわかった。
2009年からは,スウェーデンのウメオ大学で研究を続けた。ウィーン大学で自身の研究室の大学院生だったエリツァ・デルチェバの助力を得て,クリスパーシステムがゲノム内の特定の位置で DNAを切断できる可能性を示した。2011年にシャルパンティエはダウドナと出会い,共同研究を開始した。2人は 2012年,キャスナインが DNA配列を切断できることを発見した。のちに,この原理はゲノム編集技術に応用され,大きな成功を収めた。2015年からは研究室をドイツのマックス・プランク研究所に移し,その後,同感染生物学研究所所長を務めた。
ガードナー国際賞(2016)やカブリ賞(2018)など,多数の賞を受賞。2015年にスウェーデン王立科学アカデミー会員,2018年にヨーロッパ科学芸術アカデミーの会員にそれぞれ選出された。

シャルパンティエ
Charpentier, Marc-Antoine

[生]1643?. パリ
[没]1704.2.24. パリ
フランスの作曲家。ローマでジャコモ・カリッシミの教えを受けた。のちパリに帰り,イエズス会学校の楽長を務め,1698年サント・シャペルで楽長となる。作品には『メデー』(1693)をはじめとするオペラ,『ペテロの否認』ほかのオラトリオ,多数の教会音楽がある。

シャルパンティエ
Charpentier, Georges

[生]1846
[没]1905.11.15.
パリの著名な出版業者。父ジェルベ・シャルパンティエ (1805~71) の跡を継ぎ,夫人とともに同時代の文学,音楽,美術の保護者として名をはせた。夫人の主宰するサロンにはゾラ,ドーデ,フローベール,ゴンクール兄弟,ロスタン,メーテルランク,ベルレーヌ,マラルメなどが集った。ルノアールもこのサロンの常連で,『シャルパンティエ夫人像』 (1877) ,『シャルパンティエ夫人と子供たち』 (1878) を描いている。

シャルパンティエ
Charpentier, Gustave

[生]1860.6.25. デューズ
[没]1956.2.18. パリ
フランスの作曲家。リール音楽院で学んだのち,1881年パリ国立音楽院に入学,85年から J.マスネに師事。 87年カンタータ『ディドン』で,ローマ大賞受賞。 1900年代表作『ルイーズ』がパリのオペラ・コミック座で初演される。 02年「コンセルバトアール・ポピュレール・ドゥ・ミミ・パンソン」を創設,一般の貧しい人々に音楽を楽しむ機会を与えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報