石手寺(読み)イシテジ

デジタル大辞泉 「石手寺」の意味・読み・例文・類語

いして‐じ【石手寺】

愛媛県松山市石手町にある真言宗豊山派の寺。山号熊野山。中興開創は弘仁4年(813)。もと法相宗で、開山行基開基は越智玉純。旧称虚空蔵院安養寺四国八十八箇所第51番札所。仁王門国宝本堂三重塔などは重要文化財

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精選版 日本国語大辞典 「石手寺」の意味・読み・例文・類語

いして‐じ【石手寺】

  1. 愛媛県松山市石手にある真言宗豊山派の寺。山号は熊野山。神亀五年(七二八聖武天皇の勅により伊予大領越智玉純(澄)が開創。二王門は国宝。四国八十八か所五一番札所。石手のお大師さん。

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日本歴史地名大系 「石手寺」の解説

石手寺
いしてじ

[現在地名]松山市石手二丁目

熊野山虚空蔵院と号す。真言宗豊山派。本尊薬師如来。明治初年までは末寺が一六ヵ寺あった。四国八十八ヵ所の五一番札所。

寺伝によると、神亀五年(七二八)に勅宣によって伊予の大領越智玉澄が伽藍を創建し、法相宗に属して虚空蔵院安養あんよう寺と称したが、弘仁四年(八一三)に真言宗に改めたという。改称については、次のような伝説がある。天長年間(八二四―八三四)荏原えばら(井上郷の南方)の富豪に右衛門三郎とよぶ貪欲な者がいて、弘法大師がこの地に巡錫して彼の門前にたたずんだ時、無礼を働きその鉄鉢を破壊した。その後、彼の八人の男子が相次いで死んだ。右衛門三郎は仏罰の恐ろしさに驚き、大師のあとを追って阿波国の焼山しようざん(現徳島県名西郡神山町)に赴き、ここで大師に非礼をわびるとともに、深く仏道に帰依して生涯を終わった。その後、伊予国の豪族河野興利の子の興方が左手に右衛門三郎と書かれた石を握って生れたので、人々はこれこそ熊野権現の申し子であり、右衛門三郎の生れ変りであるといい、その奇瑞に感激した。寛平三年(八九一)に安養寺が再建された時、熊野十二社権現を勧請して祭祀するとともに、興方の握っていた石を玉の石と名付けて宝殿に納め、寺院の名も熊野山石手寺と改称したと語り伝えている。

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改訂新版 世界大百科事典 「石手寺」の意味・わかりやすい解説

石手寺 (いしてじ)

愛媛県松山市石手にある四国霊場八十八ヵ所の51番札所。山号は熊野山。真言宗豊山派に属し,本尊は薬師如来。この本尊は行基によって開眼されたというが,衛門三郎伝説によって石手寺と改めた。境内の本堂,三重塔,訶梨帝母堂,仁王門は鎌倉時代,鐘楼と護摩堂は室町初期の建立で重要文化財である。また仁王像と梵鐘も鎌倉時代のもので,重要文化財の多いことでは,四国霊場札所中随一である。これは伊予の名族河野氏との密接な関係によるもので,これを示すのが衛門三郎伝説である。すなわち伊予の八塚(やつづか)(松山市)の長者衛門三郎が悪逆無道を悔いて,四国遍路に出たが,12番札所焼山(しようさん)寺(徳島県名西郡神山町)で行き倒れたとき,弘法大師に出会った。大師は衛門三郎の手に石を握らせて葬ったところ,伊予国司河野息利の子,息方(やすかた)がその石を握って生まれた。そこで息方は衛門三郎の生れ代りであることを知り,この寺を建てたといい,この由来を書いた永禄10年(1567)の墨書板書が石手寺にある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石手寺」の意味・わかりやすい解説

石手寺
いしてじ

愛媛県松山市石手町にあり、真言宗豊山(ぶざん)派に属する寺。四国八十八か所第51番札所。もとは熊野山(くまのさん)虚空蔵院(こくうぞういん)安養寺と称した。聖武(しょうむ)天皇の728年(神亀5)伊予(愛媛県)の大守越智玉純(おちたまずみ)が勅を奉じて鎮護国家の道場として創建、本尊薬師如来(にょらい)は729年(天平1)行基(ぎょうき)が開眼した。初めは法相(ほっそう)宗であったが、813年(弘仁4)真言宗に改めた。縁起によると、越智家の流れをくむ領主河野息利(やすとし)に嫡子息方(やすかた)が生まれたが、その子の手が開かず、当寺で祈願して開かせたら衛門(えもん)三郎の名を書いた小石を握っていたので、この石を当寺に納め、寺号を石手寺と称するようになったという。当地方の大師信仰の中心として参詣(さんけい)者が多い。仁王門は国宝に指定されるほか、本堂、三重塔、鐘楼、梵鐘(ぼんしょう)など国の重要文化財も多い。

[野村全宏]


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百科事典マイペディア 「石手寺」の意味・わかりやすい解説

石手寺【いしてじ】

愛媛県松山(まつやま)市にある真言宗の寺。四国八十八ヵ所51番札所。728年聖武(しょうむ)天皇の勅願で建立,安養寺といったが,813年現寺号に改称という。1318年建立の仁王門は国宝,同年建立の本堂と三重塔,護摩堂などは重要文化財。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石手寺」の意味・わかりやすい解説

石手寺
いしてじ

愛媛県松山市にある真言宗豊山派の寺。奈良時代の創立と伝えられるが,現在の本堂,塔などは鎌倉,室町時代のもの。二王門は天平5 (733) 年の創建といわれ,現在のものは文保2 (1318) 年の再建で国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「石手寺」の解説

石手寺(いしてじ)

愛媛県松山市にある寺院。真言宗豊山派。山号は熊野山、院号は虚空蔵院。奈良時代の創建と伝わる。古くは安養寺と称した。本尊は薬師如来。四国八十八ヶ所第51番札所。国宝の二王門など、数多くの文化財を所有。

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事典・日本の観光資源 「石手寺」の解説

石手寺(第51番)

(愛媛県松山市)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

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