熊野山虚空蔵院と号す。真言宗豊山派。本尊薬師如来。明治初年までは末寺が一六ヵ寺あった。四国八十八ヵ所の五一番札所。
寺伝によると、神亀五年(七二八)に勅宣によって伊予の大領越智玉澄が伽藍を創建し、法相宗に属して虚空蔵院
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愛媛県松山市石手にある四国霊場八十八ヵ所の51番札所。山号は熊野山。真言宗豊山派に属し,本尊は薬師如来。この本尊は行基によって開眼されたというが,衛門三郎伝説によって石手寺と改めた。境内の本堂,三重塔,訶梨帝母堂,仁王門は鎌倉時代,鐘楼と護摩堂は室町初期の建立で重要文化財である。また仁王像と梵鐘も鎌倉時代のもので,重要文化財の多いことでは,四国霊場札所中随一である。これは伊予の名族河野氏との密接な関係によるもので,これを示すのが衛門三郎伝説である。すなわち伊予の八塚(やつづか)(松山市)の長者衛門三郎が悪逆無道を悔いて,四国遍路に出たが,12番札所焼山(しようさん)寺(徳島県名西郡神山町)で行き倒れたとき,弘法大師に出会った。大師は衛門三郎の手に石を握らせて葬ったところ,伊予国司河野息利の子,息方(やすかた)がその石を握って生まれた。そこで息方は衛門三郎の生れ代りであることを知り,この寺を建てたといい,この由来を書いた永禄10年(1567)の墨書板書が石手寺にある。
執筆者:五来 重
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愛媛県松山市石手町にあり、真言宗豊山(ぶざん)派に属する寺。四国八十八か所第51番札所。もとは熊野山(くまのさん)虚空蔵院(こくうぞういん)安養寺と称した。聖武(しょうむ)天皇の728年(神亀5)伊予(愛媛県)の大守越智玉純(おちたまずみ)が勅を奉じて鎮護国家の道場として創建、本尊薬師如来(にょらい)は729年(天平1)行基(ぎょうき)が開眼した。初めは法相(ほっそう)宗であったが、813年(弘仁4)真言宗に改めた。縁起によると、越智家の流れをくむ領主河野息利(やすとし)に嫡子息方(やすかた)が生まれたが、その子の手が開かず、当寺で祈願して開かせたら衛門(えもん)三郎の名を書いた小石を握っていたので、この石を当寺に納め、寺号を石手寺と称するようになったという。当地方の大師信仰の中心として参詣(さんけい)者が多い。仁王門は国宝に指定されるほか、本堂、三重塔、鐘楼、梵鐘(ぼんしょう)など国の重要文化財も多い。
[野村全宏]
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