竹林院(読み)ちくりんいん

精選版 日本国語大辞典 「竹林院」の意味・読み・例文・類語

ちくりん‐いん‥ヰン【竹林院】

  1. 奈良県吉野郡吉野町にある単立寺院。もと天台宗。弘仁九年(八一八空海の草創と伝えられる。庭園大和三庭園の一つ小堀遠州の作とする。

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日本歴史地名大系 「竹林院」の解説

竹林院
ちくりんいん

[現在地名]徳島市八万町

八万はちまん町の東部、山南麓にある。仏日山と号し、現在は単立寺院。かつては黄檗宗に属した。本尊は釈迦三尊。「阿波志」によると永明寺と称し、徳翁の創建、鉄崖の中興という。鉄崖は近江浅井氏の子孫で筆頭家老稲田九郎兵衛家の縁者にあたる。はじめ大安だいあん寺に住していたが諸国遍歴ののちに山城国宇治の萬福うじのまんぷく(現京都府宇治市)で唐僧隠元隆に師事し、阿波に帰って真言宗永明寺跡に竹林院を再興して黄檗禅を広めた(「阿波国各宗寺院及阿波出身僧侶列伝」最近文明史料)


竹林院
ちくりんいん

[現在地名]吉野町大字吉野山

桜本さくらもと坊の南、吉野山上千本口よしのやまかみせんぼんぐち付近にある単立寺院。本尊は不動明王・蔵王権現役行者。寺伝によれば弘仁九年(八一八)空海が入峯の時、精舎を営んで椿山ちんさん寺と号したのが起りであるといわれ、のち常楽山日蔵にちぞう院と称したが、後小松天皇から竹林院の名を賜り、金峯山律寺四院の一となり満堂派に属した。「元亨釈書」に延喜一六年(九一六)三好善行が当寺で薙髪して日蔵と号したとある。朱印割八石。明治七年(一八七四)廃寺となったが、その後復興して天台宗となり、近年独立して単立寺院となった。正面本堂には中央に不動明王、左右に蔵王権現と役行者の三体一体の本尊を安置し、ほかに聖徳太子地蔵菩薩などを祀る。


竹林院
ちくりんいん

[現在地名]下京区平居町

河原かわら町通に西面して寺門を開く。浄土宗捨世派。良雲山と号し、本尊は阿弥陀如来。浄土宗捨世派本山一心いつしん(現京都市東山区)開基称念の弟子誉謙公が開基という。もと五条町尻まちじり小路(現下京区藪下町)にあり、天正(一五七三―九二)の初め京都代官村井貞勝の叔父入道良雲により堂宇が整備されたが、同一五年豊臣秀吉の命により現在地に移転。元和(一六一五―二四)の頃には五条通より道路を開き、竹林院の辻子と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の竹林院の言及

【安楽庵策伝】より

…長じて山陽・近畿地区で布教活動に従事し,いったん美濃の浄音寺に帰ったが,1613年(慶長18)に京都の大本山誓願寺55世住職となる。同寺在住中に《醒睡笑》8巻を著し,同書が完成した23年に誓願寺塔頭(たつちゆう)竹林院を創立してここに隠居。茶室の安楽庵に風流の人士を招いて茶事をなし,狂歌を楽しむ。…

※「竹林院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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