国内通貨量と中央銀行の金準備との関係を断つ、すなわち、銀行券の兌換(だかん)を停止し、不換紙幣化することを制度的前提に、国内通貨・信用量の裁量的な操作を通じて景気変動に対処し、資本主義体制の安定と経済成長の促進を図ろうとする政策体系・制度をいう。
1929年の大恐慌を契機に国家の経済過程への大規模な介入が開始されるが、その主要なてことなるのが管理通貨制度である。すなわち、資本主義経済が自律的な均衡の回復機能を喪失したことから、政府の有効需要創出を通じて過剰資本と過剰労働力を結合させ、完全雇用を達成し、景気の回復を図ろうとする政策の制度的支柱として位置づけられる。その際とられる財政・金融政策は、総じて追加的信用による投資資金の供給、完全雇用の達成を通じて経済の安定を目ざそうとするものであるが、兌換停止下では必然的にインフレーションを随伴することになる。しかし、過度のインフレーションは不公平な所得の再配分により逆に経済の不安定性を激化させることから、通貨価値の維持が要請されることとなる。一方における追加的信用の供給と他方における通貨価値の維持、この両者の矛盾を緩和することが中央銀行による金融政策運営の基本となるのである。
このように、通貨供給が正貨準備に結び付けられ、対内的には法定平価での金兌換、対外的には法定為替(かわせ)相場の維持を目的として行われた金本位制度下の通貨管理とは違い、管理通貨制度下では国内の景気対策上の要請による有効需要の管理を目的として通貨管理が行われることになる。金本位制度が対外均衡優先であるのに対し、管理通貨制度が国内均衡優先であるといわれるゆえんである。
[齊藤 正]
1929年の世界的大恐慌とそれに続く1930年代の金融恐慌のなかで、各国は銀行券の兌換停止、金の自由輸出入の禁止という緊急措置をとり、いわゆる再建金本位制度は短命に終わる。これ以後、銀行券の発行高は金準備に制約されることなく、通貨当局の裁量にゆだねられることになるが、金本位制度への復帰に強く反対し、それにかわる通貨制度として管理通貨制度の採用を主張した代表的論者がJ・M・ケインズであった。ケインズは「供給は自ら需要を創(つく)る」という、それまでの支配的見解(セーの法則)を否定し、不況、したがって失業の原因を需要の不足に求めた。そして、需要の不足は、貨幣の供給を金という増加させにくい自然物に結び付けているためだとして、金を事実上、入手が困難な「月」になぞらえ、人々が「月」を欲するから失業が生じると述べている。そこで、潜在的な生産能力を稼働させるためには、増加可能な財生産の供給に見合うように通貨の発行量を人間の知性によってコントロールすべきだと主張して、一国の好景気、失業の減少が近隣窮乏化政策のうえでのみ実現される金本位制度にかわる、国内均衡を重視した伸縮的な財政金融政策の必要性を説いたのである。ケインズの主張は、自律的な均衡回復機能を失った資本主義経済に、国家の経済過程への介入という活路を提供することとなった。
1930年代にとられた不況対策は、各国の実態に応じて多様であった(たとえば、アメリカのニューディール政策、ドイツのナチズム経済政策、日本の高橋財政など)。しかし総じてそれらは、ブロック経済を指向するなかで国内経済の再建を図るというものであり、戦争経済との関連において生産が拡大し、景気が回復するというものであり、それ自体として成功したのではなかった。
世界経済の再建を前提とする管理通貨制度は、第二次世界大戦後のIMF(国際通貨基金)体制をもって確立する。すなわち、各国における管理通貨制度の採用を基礎に、アメリカ財務省によるドルに対する金兌換規定と、IMF加盟国の対ドル・レートを維持するための公的介入のルールの創出によって整備された世界的な規模での管理通貨制度が完成する。このようなアメリカの主導による世界的規模での管理通貨体制=IMF体制の下で、各国は財政政策と金融政策を一体化した財政金融政策を採用することになるのである。
[齊藤 正]
管理通貨制度は第二次世界大戦後の高度経済成長を実現するのに寄与した一方、新たな問題を生み出すことになった。その一つは、ドルに対する国際的信認の低下による国際通貨不安の頻発であり、いま一つは、スタグフレーションといわれる不況とインフレーションの同時進行状況であった。管理通貨制度は、国際的な通貨協力体制を前提としてその機能を十全に発揮しうるものであり、かつ、そもそも不況からの脱出(=経済成長)を目的として金準備と国内通貨量との連関を断ったのである。この二つの基本前提自体が深刻な動揺をきたしているなかで、1971年8月のニクソン声明によってドルと金との兌換が停止され(ニクソン・ショック、ドル・ショック)、1973年国際通貨制度は固定為替相場制から変動為替相場制へ移行した。また、国内的にも政治的プレッシャーによる「大きな政府」への志向がインフレーションの高進や財政赤字の深刻化をもたらし、1980年代以後、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根(なかそね)内閣など、新自由主義的な「小さな政府」を掲げる保守的政権の登場を促すこととなった。
[齊藤 正]
『大内力著『国家独占資本主義』(1970・東京大学出版会)』▽『川合一郎著『管理通貨と金融資本』(1974・有斐閣)』▽『侘美光彦著『国際通貨体制』(1976・東京大学出版会)』▽『中内恒夫訳『ケインズ全集4 貨幣改革論』、塩野谷祐一訳『ケインズ全集7 雇用・利子および貨幣の一般理論』(1978、1983・東洋経済新報社)』▽『建部正義著『管理通貨制度と現代』(1980・新評論)』▽『深町郁弥著『現代資本主義と国際通貨』(1981・岩波書店)』
一般に通貨当局が物価安定・経済成長・完全雇用の達成などの政策目標に即して通貨(銀行券)発行高を政策的に操作・調節できる制度をいい,正貨(金)準備の増減によって銀行券発行高が拘束される金本位制度と対比される。19世紀に確立された国際的な金本位制は第1次大戦によって中断されたが,1919年にアメリカ,25年にイギリスがそれぞれ金本位制に復帰した。しかしこの間,アメリカ,フランスに金が集中し世界的に金の偏在が生じた。そのうち29年秋に始まったアメリカの恐慌はヨーロッパに波及し,ついにロンドン金融市場から大量の短資が引き上げられ,イングランド銀行の金保有高は大幅に減少した。このため31年イギリスは金本位制を離脱し,これを契機に他の諸国もこれに追随した。こうして国際的金本位制は終幕を告げ,管理通貨制の時代となった。日本は1930年金本位制に復帰したが,翌31年再び離脱した。さらに翌32年保証発行限度を大幅に引き上げ,事実上管理通貨制度に移行した。ついで41年最高発行額屈伸制限制度が採用され,42年の日本銀行法改正によってそれが明文化され,管理通貨制度が恒久的制度となり,現在にいたっている。
次に管理通貨制度のしくみを金本位制と対比して説明しよう。まず金本位制のもとでは銀行券発行は金準備の量に拘束されているため,金本位制を維持するには国際収支の均衡をはかり,適正な金準備の量を確保することが必要であった。国際収支が赤字となった場合,金準備は海外に流出するため,通貨当局はデフレ政策を実施して銀行券の量を収縮し,物価低落,輸出増加・輸入減少を通じて国際収支の改善,金準備の増加に努めた。したがって,金融政策はつねに対外均衡の達成を目標に運営され,国内経済では景気後退,失業の発生をともなうことになった。ところが,1930年代の大不況に直面して,各国政府は国内景気を振興し大量の失業者を救済する政治的要求に直面した。そのため通貨当局は,銀行券の量を金準備の拘束から断ち切り,国内経済政策の目標に対応して金融政策を弾力的に運営し通貨量をコントロールすることが必要であった。こうして各国は金本位制を離脱し管理通貨制度へ移行したが,そこでは銀行券の発行について,銀行券と正貨(金)準備の関係は金本位制度のときのように厳格ではなく緩やかなものに改められ,さらには正貨準備と保証準備の区分は廃止されて,銀行券発行高に限度が設けられることになった(最高発行額屈伸制限制度)。管理通貨制度の主張は,すでにケインズ《貨幣改革論》(1923)にみられたが,通貨当局が銀行券の量を裁量的に〈管理〉する(managed currency)点に,その言葉本来の意味がある。
このように管理通貨制度は国内均衡重視の政策運営に即応する貨幣制度であるが,戦時中は別として,各国経済は国際経済のなかで営まれている以上,対外均衡を無視することはできない。たとえば景気回復のため金融緩和政策がとられると,通貨量の増加,金利の低下に支えられて総需要は増加し,生産と雇用が増えて景気は上昇するであろう。しかし,景気上昇が過熱化して物価が騰貴し,国際収支が赤字に転ずるおそれもある。国際収支の赤字は為替平価の切下げによらないかぎり,最終的には金ないし外貨によって決済されなければならないので,管理通貨制度のもとでも対外均衡の視点から金融政策の運営にはおのずから節度が求められることになる。
第2次大戦後のIMF(国際通貨基金)体制のもとでは,一定の金平価に結びつく米ドルが基軸通貨として用いられ,固定為替相場制がとられた。この点,IMF体制は一種の国際的な金為替本位制度であるが,各加盟国は国内的には伸縮性のある管理通貨制度を採用している。日本は1949年4月から71年8月まで22年間1ドル=360円レートを堅持し,とくに1960年代には金融引締めによって外貨危機を乗り切ってきた。その後71年8月,米ドルの金交換性が停止されてからIMF体制はたんなるドル本位制となり,さらに73年春以来日本も含めて主要国は変動為替相場(フロート)制に移行した。こうして国際的にも管理通貨制度の時代となった。しかしその場合も,国際収支が赤字になると自国通貨の為替相場は低下し,国内物価の上昇にはね返るため,各国は金融引締めによって総需要を抑制し,国際収支の改善,為替相場の上昇に努めなければならない。
各国の経済政策の目標は国によって,また状況によって異なるが,各国経済は相互に密接に結びついて国際経済を形成しているため,金融政策の運営にあたっては,国内均衡(物価,景気,雇用)のみならず対外均衡(国際収支,為替相場)への配慮も必要な状況にある。
→国際通貨制度
執筆者:石田 定夫
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金本位制を離脱した一国の通貨当局が国内通貨流通量を政策的に管理し,為替相場の変動を調整しつつ,多国間協定にもとづき安定させる通貨制度。歴史的には1920年代の再建金本位制が30年代に大恐慌により崩壊し,第2次大戦にかけて各国が過渡的・戦時的な管理通貨制度に移行した。大戦中に戦後通貨体制がJ.M.ケインズの活躍により米・英両国間で模索され,44年のブレトン・ウッズ会議をへて45年に国際通貨基金(IMF)が成立,アメリカ・ドルを基軸とした国際的な管理通貨制度が確立した。日本は1931年(昭和6)末犬養(いぬかい)内閣の高橋是清(これきよ)蔵相による金本位制離脱後に始まる戦時管理通貨制度が,戦後占領期に再編され,独立後の52年にIMFに加盟して確立した。
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金の保有量に応じて通貨を発行する金本位制と異なり,通貨発行量が通貨当局の自由裁量によって管理,調節される通貨制度。国内経済の均衡を重視する。1929年に起こった世界恐慌のときに,資本主義諸国はあいついで恐慌克服のため,金本位制から離脱し管理通貨制度を採用した。第二次世界大戦後は外国為替相場安定のため各国の管理通貨制度を基礎に,ドルと金を国際通貨とする国際通貨基金(IMF)体制が形成された。
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…23年には自由党の機関誌《ネーション》の会長となり,その後は《ネーション》やその後身の《ニュー・ステーツマン・アンド・ネーション》その他に数多くの時論を発表して啓蒙に努めた。 第1次大戦後のイギリス経済の停滞に際して金本位制への復帰を望む声が強まったが,ケインズは,金本位制とくに旧平価による金本位制への復帰と自由放任主義に反対して管理通貨制度の必要性を提唱,《貨幣改革論》(1923)や《チャーチル氏の経済的帰結》(1925,小冊子)を発表するにいたった。このケインズの主張は,日本における昭和初年の金解禁をめぐる論争にも影響を与え,石橋湛山,高橋亀吉ら旧平価解禁反対論者の反対の根拠とされた。…
…ドイツではナチス政権が登場し,赤字財政による軍事生産の拡大と経済の統制によって経済の回復をはかったが,経済圏拡大の試みによって国際対立が激化し,第2次大戦がひきおこされることになった。 金本位制を停止して管理通貨制度を採用することは,通貨の量を金保有高によって限度づけるのをやめ,政策的に増減させることを可能にして,財政・金融政策をつうじての政府の経済介入の余地を大きく広げ,景気の回復・維持のための積極的政策の展開を容易にした。管理通貨制は,経済活動の調整を市場経済の自律的メカニズムにゆだねるのではなく,市場メカニズムを利用しながらも経済を政治的・経済的目標にしたがってある程度人為的に調整していこうとすることを意味する。…
※「管理通貨制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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