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粟津橋本御厨 あわづはしもとのみくりや

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百科事典マイペディアの解説

粟津橋本御厨【あわづはしもとのみくりや】

琵琶湖の最南端部,近江国滋賀郡粟津と栗田郡橋本の漁民居住地にあった天皇家の御厨。現大津市の瀬田川河口付近。天智天皇時代の設置と伝える。内膳司(ないぜんし)に属して魚類など天皇の副食を貢進した料地が荘園化したもの。
→関連項目勢多

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

粟津橋本御厨
あわづはしもとのみくりや

近江(おうみ)国(滋賀県)、勢田(瀬田)(せた)川が琵琶(びわ)湖から流出する地点、瀬田橋の東岸一帯の橋本御厨と、対岸の粟津御厨の総称。ともに、883年(元慶7)の太政官符(だいじょうかんぷ)にみえる勢多御厨の流れをくむものと考えられ、皇室の御厨子所(みずしどころ)、内侍所(ないしどころ)、内膳司(ないぜんし)などに御贄(みにえ)を貢進した。
 両御厨の領家職(りょうけしき)は、鎌倉初期の領家大納言(だいなごん)藤原基嗣(もとつぐ)以降一括して伝領され、南北朝時代初め、後醍醐(ごだいご)天皇の皇子世良親王の遺領として嵯峨(さが)の臨川寺(りんせんじ)に寄進された。両御厨の供御人(くごにん)は、鎌倉時代以降京の六角(ろっかく)町に4宇の店棚を構え、六角町四宇供御人と称して特権的な魚貝売買を行っていたが、その基礎には、「粟津勢多御厨」が琵琶湖の三尾崎(みおさき)以南佐久那(さくな)谷以北一帯の水面に広域的な漁場権を有していたような事実があった。[保立道久]

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