中国工農紅軍(中国労農赤軍)の通称。1927年蔣介石,汪兆銘の国民政府と決裂した中国共産党は8月1日の南昌蜂起(周恩来,朱徳,賀竜,葉挺らが指導),9月の湖南,湖北の秋収蜂起(毛沢東らが指導)など各地で暴動を起こし,中国工農紅軍をつくった。湖南秋収蜂起に失敗した毛沢東は湖南・江西省境の井岡山を根拠に,28年5月には朱徳がひきいる南昌蜂起の残兵が合流して紅第四軍(司令朱徳,政治委員毛沢東)を結成,紅軍の主力となった。毛沢東は井岡山に上るに当たって,三大規律八項注意を定めてこれを〈人民の軍隊〉たる紅軍建軍の基本原則とし,農村に根拠地を建設して,人民を立ちあがらせ人民に依拠する遊撃戦を主とする人民戦争の戦略戦術を発展させた。蔣介石の国民党軍の包囲で29年1月井岡山を捨てた紅第四軍は江西省瑞金(ずいきん)を中心に新たな根拠地を建設,軍閥混戦の状況に乗じて急速に発展した。李立三,周恩来が指導する党中央も各地に人を派遣して紅軍の建設発展に努めた。30年には毛沢東,朱徳,彭徳懐が指導する中央根拠地(江西を中心に湖南,福建,広東,浙江各省にまたがる)のほか張国燾(ちようこくとう),徐向前指揮下の鄂予皖辺区(湖北,河南,安徽),賀竜,周逸群(のちに関向応)指導下の湘鄂西辺区(湖南,湖北西部)などの根拠地が建設され,30年8月には彭徳懐軍が一時長沙を占領した。情勢重大とみた蔣介石は30年末から34年までに5回にわたる包囲討伐作戦をおこなった。紅軍は毛沢東の巧みな作戦で4度まで国民党軍の攻勢を撃退し,31年11月には瑞金を首都に中華ソビエト共和国を樹立した。紅軍の兵力も最高30万に達した。しかしコミンテルンの意向を背景に正規戦を主張する王明(陳紹禹),博古(秦邦憲)ら留ソ派と対立して,毛沢東が軍の指導権を奪われたこと,蔣介石が第5次作戦でトーチカを築いてじり押しに包囲圏を縮める作戦をとったことによって,紅軍は34年10月瑞金を放棄して〈長征〉を余儀なくされた。
貴州,雲南,四川など11省を迂回した紅軍は35年10月第1陣の第1方面軍が陝西北部に到着,新たな根拠地をつくったが,総兵力は3万に減っていた。中共は35年8月1日,一致抗日宣言を発表して,抗日民族統一戦線結成の新方針を定め,36年12月の西安事件を契機に国共停戦へと進んだが,37年7月日中戦争勃発を機に国共再合作が成り,紅軍は華北の部隊が八路軍(正しくは国民革命軍第八路軍)に,華中に残留した部隊が新四軍(正しくは国民革命軍新編第四軍)に改編された。
→中国人民解放軍
執筆者:宍戸 寛
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中国労農紅軍の略称。赤軍とも訳す。1927年8月1日の南昌(なんしょう)蜂起に参加した部隊がその起源とされているが、紅軍の呼称は、1928年5月、井岡山(せいこうざん)における毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)、朱徳(しゅとく/チュートー)両軍の合流・改編で成立した紅軍第四軍に始まる。盧溝橋(ろこうきょう)事件後、国民党との話し合いにより、1937年8月、華北の紅軍が国民革命軍第八路軍に、10月には、華中の紅軍が新編第四軍へとそれぞれ改編され、紅軍という呼称はなくなる。兵力は、1933年には約30万を数えたが、長征終了時の1935年秋には数万に減っていた。中国共産党指導下の党軍で、主体は農民。武装闘争がおもな闘争形態となった中国革命において、きわめて重要な役割を担った。
[安井三吉 2018年3月19日]
一般に建軍から八路軍に改編されるまでの中国共産党軍をいう。中国工農紅軍の略。1927年8月の南昌暴動で建軍され,井崗山(せいこうざん)で合体した朱徳と毛沢東の部隊が中心となった。瑞金(ずいきん)に移ってからは強大となり,最大兵力30万,長江の南北に幾多のソヴィエト区を建設した。34年長征を行って陝西(せんせい)省北部へ移動し,日中戦争の勃発後,37年国共合作により国民革命軍第八路軍に改編された。
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…中華人民共和国の国軍。1927年8月1日賀竜,周恩来,朱徳らによって南昌蜂起を起こしたのを機に中国労農紅軍が成立し,井岡山を根拠地とした毛沢東・朱徳の第4軍を中心に発展し,31年には江西省瑞金(ずいきん)を首都に中華ソビエト共和国を樹立したが,蔣介石軍の5次にわたる包囲作戦によって,根拠地を放棄〈二万五千里の長征〉に出,35年秋陝西省北部に新たな根拠地を定めた。 37年7月蘆溝橋事件が起こり日中戦争が始まると第2次国共合作が実現し,紅軍は国民革命軍第八路軍,新編第四軍に改編された。…
…1934年8月から36年10月にかけて行われた中国労農紅軍主力の戦略的大移動をいう。もっとも遠距離を行軍した部隊は2万5000華里(1万2500km)を踏破したことから〈万里長征〉とも呼ばれる(図)。…
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