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狩野正信 かのう まさのぶ

美術人名辞典の解説

狩野正信

室町後期の画家。伊豆生。狩野派の祖。通称は四郎次郎、のち大炊助と改める。号は性玄。若くして画名を上げ、周文のあとを受けて足利将軍家の御用絵師となる。漢画の日本化に大きな功績があった。代表作に「崖下布袋図」がある。天文19年(1550)歿、97才。

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百科事典マイペディアの解説

狩野正信【かのうまさのぶ】

室町時代の画家。狩野派の祖。室町幕府の御用絵師として重用され,1483年将軍足利義政東山山荘の襖絵(ふすまえ)を制作。漢画様式を武家社会の好みに適合させた。代表作《周茂叔愛蓮図》。
→関連項目小栗宗湛狩野元信虎渓三笑東山山荘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩野正信 かのう-まさのぶ

1434-1530 室町-戦国時代の画家。
永享6年生まれ。狩野派の祖。足利義政にみとめられ,小栗宗湛(そうたん)の跡をついで室町幕府の御用絵師となる。相国寺雲頂院,東山山荘などに障壁画をえがく。山水画,肖像画,仏画など幅ひろく制作した。法橋(ほっきょう)。享禄(きょうろく)3年7月9日死去。97歳。通称は四郎次郎,大炊助。号は性玄,祐勢。作品に「周茂叔愛蓮(しゅうもしゅくあいれん)図」「崖下布袋(ほてい)図」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

狩野正信

没年:享禄3.7.9?(1530.8.2)
生年:永享6?(1434)
室町中期の画家。狩野派の始祖。号は性玄。別名は祐勢。大炊助,越前守,法橋に任ぜられる。関東の武家の出身と推測され,伊豆の狩野氏,上総の狩野氏などその出自には諸説ある。京都に上って小栗宗湛に師事したと伝えるが確証はない。画作の記録の初出は,寛正4(1463)年の相国寺雲頂院での「観音図」「十六羅漢図」障壁画の制作。その後,宗湛の後を継いで室町幕府の御用絵師になったと思われ,文明15(1483)年に足利義政の東山山荘(銀閣寺)に「瀟湘八景図」襖絵を描く。同17年から翌年にかけて東山山荘持仏堂(東求堂)に「十僧図」を描くが,この制作の経緯は『蔭涼軒日録』によって詳細にたどることができる。画本となる中国画を借り出し,下絵を描いて注文者に見せ,その意見を入れて,ようやく完成させる様子は,当時の絵画制作の実態をよく表している。また明応5(1496)年に没した日野富子の肖像画を描くに際して,土佐光信の「嘉楽門院像」を参考にしたことが記録される。正信のやまと絵技法の積極的な摂取を示す史料である。その他にも足利将軍などの肖像画の制作の記録がいくつかあるが,現存するものは「足利義尚像」(1489,地蔵院蔵)のみである。「正信」印を押す有力な伝承作品としては「周茂叔愛蓮図」(個人蔵),「山水図」(個人蔵),「山水図」(長林寺蔵),「布袋図」(個人蔵)などがあるが,いずれを真筆とするかという問題については,研究者間での意見の一致をみない。享禄3(1530)年の没年についても,晩年約30年間に画作の記録がみられないことから疑問がある。2子があったと伝えるが,そのうち元信が家督を継ぎ,狩野派の隆盛の基礎を固めた。もうひとりの子の存在については諸説がある。<参考文献>渡辺一『東山水墨画の研究』,上野憲示「足利長尾氏と初期狩野派」(『美術史』132号)

(山下裕二)

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世界大百科事典 第2版の解説

かのうまさのぶ【狩野正信】

1434ころ‐1530ころ(永享6ころ‐享禄3ころ)
室町中期の画家。大炊助(おおいのすけ),越前守また法橋となる。号は性玄。正信以来,狩野家が専門画家の道を歩むようになり,狩野派の祖とされる。武家の出身で幕府御用絵師の小栗宗湛に学んだとされるが不明。正信の名が記録に現れるのは1463年(寛正4)の相国寺雲頂院での壁画制作を伝える《蔭涼軒日録》の記事が最初で,のちしだいに幕府の御用絵師の役割を務めるようになり,足利義政や義尚の肖像を手がけたことなど,96年(明応5)までの活躍が知られる。

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大辞林 第三版の解説

かのうまさのぶ【狩野正信】

1434~1530) 室町中期の画家。別名、鹿野性玄かのうせいげん。号、祐勢ゆうせい。元信の父。小栗宗湛そうたんに師事して室町幕府の御用絵師となり、狩野派の基礎をつくる。代表作「周茂叔愛蓮図しゆうもしゆくあいれんず」「崖下布袋図」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩野正信
かのうまさのぶ

[生]永享6(1434)
[没]享禄3(1530)
室町時代中期の画家。狩野派の始祖。今川氏の家臣で画技に長じた狩野景信の子と伝えられるが,出自には不明な点が多い。初め性玄,のち大炊助,越前守と称し,法橋,法眼に昇叙。絵の師は小栗宗湛とする説が有力。正信は法華宗徒であったが季瓊真蘂 (きけいしんずい) らの知己を得て,寛正4 (1463) 年,相国寺雲頂院昭堂の壁画を制作するなど禅家にも用いられた。宗湛死後は室町幕府御用絵師となり,文明 15 (83) ~18年に,足利義政の東山山荘とその持仏堂に『瀟湘八景図』『十僧図』などの障壁画を描いた。遺品は国宝『周茂叔愛蓮図』,『竹石白鶴図屏風』 (真珠庵) ,『崖下布袋図』など数点に限られるが,多数の肖像画,仏画,障壁画のほか,工芸的な分野にも幅広く活躍したことが記録から知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

狩野正信
かのうまさのぶ
(1434―1530)

室町中期の画家。狩野派の始祖。その名前が記録に現れる最初は、1463年(寛正4)相国寺雲頂院昭堂壁画の制作で、やがて小栗宗湛(おぐりそうたん)の後を継いで幕府の御用絵師となったと推定される。83年(文明15)には足利義政(あしかがよしまさ)の東山殿常御所の障子に『瀟湘(しょうしょう)八景・耕作図』を描いたのをはじめ、義政に重用され、東求堂(とうぐどう)に『十僧図』(1485)、『涅槃(ねはん)図』(1487)などを制作したことも知られ、幕府関係の絵事を中心に活躍した。日蓮(にちれん)宗の信者でありながら、禅林ととりわけ関係深い水墨画法をよくし、さらには大和絵(やまとえ)の画技にも通暁するなど、やがて子元信によって達成されることとなる近世絵画への基礎を築いた。『周茂叔愛蓮(しゅうもしゅくあいれん)図』『布袋(ほてい)図』『山水人物図』などがその代表作である。[榊原 悟]
『山岡泰造著『日本美術絵画全集7 狩野正信・元信』(1981・集英社)』

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世界大百科事典内の狩野正信の言及

【狩野派】より

…室町中期から明治初期まで続いた,日本画の最も代表的な流派。15世紀中ごろに室町幕府の御用絵師的な地位についた狩野正信を始祖とする。正信は俗人の専門画家でやまと絵と漢画の両方を手がけ,とくに漢画において時流に即してその内容を平明なものにした。…

※「狩野正信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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