日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊野」の意味・わかりやすい解説
豊野(熊本県)
とよの
熊本県中部、下益城(しもましき)郡にあった旧町名(豊野町(まち))。現在の宇城市(うきし)北東部、豊野町地区にあたる。「豊野」の名は1889年(明治22)に合併した7か村の出自単位である旧豊田郷と旧小熊野郷との組合せによる。旧豊野町は2000年(平成12)町制施行。2005年三角(みすみ)町、不知火(しらぬひ)町、松橋(まつばせ)町、小川(おがわ)町と合併、市制施行して宇城市となる。全域が開析の著しく進んだ低山地性の豊田分丘山地からなり、旧町域をほぼ東西に二分して北流する小熊野川(浜戸(はまど)川)、さらに南北にほぼ二分する国道218号のそれぞれ両側に広がる平地・丘陵は、あたかも四周を縁どるように位置する山々によって盆地のようにみえる。産業の中心は、久しく米麦と、県下における最盛地として知られた養蚕とであったが、昭和40年代なかばから始まった圃場(ほじょう)整備の進展は施設園芸(メロン、トマト)を盛んにしたほか、ブドウ、カキ、ナシなどの果樹も導入させ、農業経営の多角化に寄与している。九州自動車道の松橋インターチェンジが近い。江戸時代に築かれた石橋が多く残っており、見学者も増えつつある。西部にある萩尾溜池(はぎおためいけ)は、県下最大の面積を誇る灌漑(かんがい)用溜池として知られている。また奈良時代建立の浄水(じょうすい)寺跡には、平安時代の石碑が残る。
[山口守人]
豊野(長野県)
とよの
長野県北部、上水内郡(かみみのちぐん)にあった旧町名(豊野町(まち))。現在は長野市東北端の一地区。1954年(昭和29)神郷(かみさと)、鳥居(とりい)の2村が合併して豊野村となり、1955年町制施行。2005年(平成17)、戸隠(とがくし)村、鬼無里(きなさ)村、更級(さらしな)郡の大岡(おおおか)村とともに長野市に編入。旧町域は、千曲(ちくま)川とその支流鳥居川の流域にあり、東部の沖積地と西部の山地丘陵部からなる。しなの鉄道北しなの線(旧、JR信越本線)とJR飯山線(いいやません)、国道18号、117号の分岐点にあたる。明治20年代の信越線開通時に豊野駅前に形成された小商店街が町の中心をなす。米作のほか、信州リンゴの一大産地。リンゴジャムなどの食品工場が進出し、長野市中心街のベッドタウン化もみられる。
[小林寛義]
『『豊野町史』(1960・豊野町)』