赤穂(市)(読み)あこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「赤穂(市)」の意味・わかりやすい解説

赤穂(市)
あこう

兵庫県南西端、播磨灘(はりまなだ)に臨む市。1951年(昭和26)赤穂町、坂越(さこし)町、高雄村が合併して市制施行、赤穂市が誕生。1955年有年(うね)村を編入。赤穂の地名は、一説に赤い穂のタデが自生することにちなむという。JR赤穂線、山陽自動車道、国道2号、250号、373号が通じ、市の北東端にJR山陽本線有年駅がある。市域を千種川(ちくさがわ)が北から南に貫流、集落は主として千種川流域に分布し、中心市街地はデルタ上に立地する。臨海部は、岩石海岸と砂浜海岸が交錯し、白砂青松が点在し、景勝地の赤穂御崎(みさき)から坂越に至る地域は瀬戸内海国立公園に含まれる。

 天正(てんしょう)年間(1573~1592)備前(びぜん)(岡山県)の宇喜多秀家(うきたひでいえ)が家臣の津浪法印に統治させ、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に姫路城主池田輝政(てるまさ)の弟長政が一重の城を築く。1645年(正保2)浅野長直(ながなお)が5万3000石余で常陸(ひたち)(茨城県)から入部、城下町を完成し、塩田も開発された。1701年(元禄14)3代長矩(ながのり)の江戸城内での刃傷(にんじょう)によって浅野家は改易となり、のち永井氏、森氏と続いた。江戸時代以降塩業の町として発達したが、1967年イオン交換樹脂膜法による化学製塩法が始まり、塩田はしだいに工業用地や宅地へ転用された。明治以来、紡績製薬、製網、耐火れんがセメント電機の諸工業が立地し、播磨工業地域一角を形成し、西播磨テクノポリスの副母都市ともなっている。

 赤穂城跡大石良雄宅跡(ともに国指定史跡)、花岳(かがく)寺(浅野氏菩提(ぼだい)寺)、大石神社など赤穂義士(赤穂浪士)にかかわる寺社・旧跡が多い。坂越の沖合に浮かぶ生島(いきしま)は暖帯性広葉樹に覆われ、生島樹林として国の天然記念物に指定されている。市立海洋科学館・塩の国、市立歴史博物館があるほか、関西福祉大学が設置されている。面積126.85平方キロメートル、人口4万5892(2020)。

[富岡儀八]

『『赤穂市史』全7巻(1981~1986・赤穂市)』


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