隣接する藤井寺市のミサンザイ古墳の南方六〇〇―七〇〇メートルにあり、寺の南を古代の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府羽曳野(はびきの)市野々上(ののうえ)にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗(もと真言律宗)の寺。青竜(せいりゅう)山徳蓮(とくれん)院といい、俗に「中(なか)の太子(たいし)」とよばれる。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。寺伝では聖徳太子の命で蘇我馬子(そがのうまこ)が建立したといい、創建当初は法隆寺の七堂伽藍(がらん)の配置に似た様式で野中寺様式ともいうべきものであったが、南北朝時代に兵火で全焼した。現在の堂宇は寛文(かんぶん)年間(1661~73)に再建したもので、戒律の寺として栄えた。慈雲(じうん)尊者飲光(おんこう)(1718―1804)も住したことがある。旧伽藍跡は国指定史跡。金銅弥勒菩薩半跏(みろくぼさつはんか)像(飛鳥(あすか)末期)、木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代)は国重要文化財。
[宮坂宥勝]
大阪府羽曳野(はびきの)市にある高野山真言宗の寺。青竜山徳連院と号し,俗に中の太子とよぶ。聖徳太子の創建といい,蘇我馬子(うまこ)の建立とも伝えるが,当地を本拠とする船氏の氏寺(うじでら)と考えられる。はじめ法隆寺式伽藍配置であったが,たびたび火災にあい,現在礎石が残存する。近世には戒律の道場として栄えた。旧伽藍跡は国史跡。金銅弥勒菩薩像・木造地蔵菩薩像は重文。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…西漢は,河内国丹比・古市2郡を中心に,近接して居住し,文・武生・蔵の首(おびと)姓,船・白猪(しらい)・津の史(ふひと)姓などの各氏にわかれたが,東漢ほどの勢力はなく,八色の姓でも,忌寸をあたえられたのは文(書)首など少数にとどまった。しかし,8~9世紀に津氏が菅野朝臣(あそん)を賜り,政界で活躍し,また在地では,西琳寺(さいりんじ),葛井寺(ふじいでら),野中寺(やちゆうじ)などの氏寺を経営した。東漢氏【平野 邦雄】。…
※「野中寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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