紫雲山と号する浄土宗寺院。本尊阿弥陀如来。俗に
〈京都・山城寺院神社大事典〉
寺伝によれば所在地はもと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区にある浄土宗の大本山。山号は紫雲山。新黒谷ともいう。法然が信空に付与した〈白川本房〉の旧址と伝える。5世恵顗(えぎ)のとき堂舎が整い光明寺と称し,8世運空が後光厳天皇に円頓戒を授け,天皇から〈金戒〉の2字を賜ったという。室町時代になって清浄華院(しようじようけいん)の定玄が当寺の住職を兼ねて以来,相ついで清浄華院の住持が兼任または退隠しており,当寺はおのずと清浄華院の末寺の位置につくようになった。しかし1512年(永正9)17世理聖が応仁の乱後荒廃していた当寺の再建に勧進を開始して寺運が回復すると,清浄華院の支配を脱しようと図り,両寺の間で本末関係をめぐる紛争がおこった。幕府が清浄華院の“本寺”たる地位を認定したものの,22世道残のとき清浄華院を凌ぐ勢いとなる。ついで26世盛林は徳川家康の保護をうけて1610年(慶長15)紫衣を勅許され,かつ末寺の香衣綸旨(りんじ)の執奏権を得て,名実ともに清浄華院より独立,浄土宗の本山たる寺格を確立した。かかる当寺の発展は,〈法然上人勧化の地,浄土門宗最初の処〉の霊寺,すなわち宗祖の遺跡に対する人びとの信仰が時代とともに高まったからである。寺域の中山は往古からの埋葬所で,貴紳・文人らの墓が多い。また幕末の1862年(文久2)京都守護職松平容保の宿陣となり,明治維新の際に薩摩藩の包囲をうけたが,堂宇の損壊は免れている。寺宝の《一枚起請文》は法然の真筆と伝える。
執筆者:中井 真孝
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京都市左京区黒谷(くろだに)町にある浄土宗の大本山。紫雲山(しうんざん)と号する。浄土宗祖源空(法然(ほうねん))が1175年(安元1)、叡山(えいざん)西塔の黒谷より念仏説法のためにここにきて、草庵(そうあん)を結んだのを始めとする。このためこの地は新黒谷とよばれ、当寺も黒谷と称される。5世恵顗(えぎ)のとき初めて仏堂や御影(みえい)堂が整えられ寺基がなった。開創の際の瑞相(ずいそう)により紫雲山光明寺と命名、8世運空が後光厳(ごこうごん)天皇の戒師を勤め、金戒の二字を賜って現寺号となった。堂舎はいくたびかの火災で焼失したが再建され、とくに源空の坐像を安置する御影堂は1944年(昭和19)に京大教授・博士天沼俊一の設計により新たに建設された。什宝(じゅうほう)に源空遺作の「一枚起請文(きしょうもん)」(鎌倉期書写)や、「山越阿弥陀(やまごしあみだ)図」および「地獄極楽図屏風(ごくらくずびょうぶ)」(鎌倉時代、以上2点は国重要文化財)などがある。墓域には春日局(かすがのつぼね)や山崎闇斎(あんさい)の墓、幕末に京都守護職の本陣が置かれた名残(なごり)を示す会津藩主松平公本陣旧趾(きゅうし)などがある。
[森 章司]
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