デジタル大辞泉
「鈴木俊一」の意味・読み・例文・類語
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鈴木俊一【すずきしゅんいち】
政治家・内務官僚。山形県出身。東京帝国大学(現,東京大学)法学部卒業。1933年に内務省に入り,地方自治法の制定など第2次世界大戦後の地方自治制度の土台づくりに携わった。1958年に第2次岸信介(のぶすけ)内閣の内閣官房副長官となる。1979年には東京都知事選挙に出馬し初当選。1995年まで4期16年にわたって都知事を務めた。この間,1991年には都庁を丸の内から西新宿に移転させ,その一方で都財政を再建するなどの功績があった。しかし,東京国際フォーラムや東京臨海副都心などの大規模施設の建設は〈箱モノ行政〉であるとの批判を浴びた。なお,自ら率先して推進していた世界都市博覧会は,後任の青島幸男都知事によって中止されている。
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鈴木俊一
すずきしゅんいち
[生]1910.11.6. 東京
[没]2010.5.14. 東京
元東京都知事。1933年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年内務省に入り,1950年地方自治庁次長,1957年自治事務次官,1958年内閣官房副長官などを歴任,1959~67年東龍太郎都政下の副知事を 2期務め,1964年の東京オリンピック競技大会の成功に尽力した。その後 1967年日本万国博覧会協会事務総長,1971年首都高速道路公団理事長,1978年公営企業金融公庫総裁を経て,1979年美濃部亮吉都知事退任をうけた東京都知事選挙で初当選,1995年まで 4期務めた。1期目に破綻寸前だった都財政を再建,3期目に臨海副都心計画に着手,1991年4月に都庁舎を千代田区丸の内から新宿区西新宿に移転した。1987年勲一等旭日大綬章,1989年国連平和賞,1999年レジオン・ドヌール勲章を授与された。
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鈴木俊一
すずきしゅんいち
(1910―2010)
政治家。東京都生まれ。東京帝国大学法学部卒業。内務省に入り、1950年(昭和25)から1958年まで地方自治庁次長、自治庁次長、自治省事務次官を歴任、戦後地方自治のスタート時点で事実上トップの地位にあった。1959年東京都副知事に転任。1979年美濃部亮吉(みのべりょうきち)引退後の都知事選で自民党などの推薦を受けて当選、美濃部革新都政を「バラマキ行政」と批判し赤字解消を優先的に進めた。その後「マイタウン東京」を提唱、都庁の新宿移転、臨海副都心の建設などを推し進めた。1991年(平成3)には自民党中央を押し切って都知事4選を果たした。1995年4月退任。
[伊藤 悟]
『鈴木俊一著・政策研究院政策情報プロジェクト監修『官を生きる――鈴木俊一回顧録』(1999・都市出版)』
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鈴木俊一(2) すずき-しゅんいち
1953- 平成時代の政治家。
昭和28年4月13日生まれ。元首相・鈴木善幸の長男。大学卒業後,全国漁業協同組合連合会に就職。父の引退をうけて,平成2年衆議院議員初当選(当選8回,自民党)。厚生政務次官などをへて,14年第1次小泉改造内閣で環境相。19年国民健康保険中央会会長,24年外務副大臣,25年衆議院外務委員長。東京都出身。早大卒。
鈴木俊一(1) すずき-しゅんいち
1910-2010 昭和-平成時代の官僚,政治家。
明治43年11月6日生まれ。昭和8年内務省にはいる。戦後の地方自治制度づくりに従事し,32年自治事務次官。34年東京都副知事に転じ,54年都知事となり,4期つとめる。都庁を新宿に移転した。臨海副都心計画に着手後,退任。平成20年後藤新平賞。平成22年5月14日死去。99歳。東京出身。東京帝大卒。
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鈴木 俊一 (すずき しゅんいち)
生年月日:1910年11月6日
昭和時代;平成時代の東京国際交流財団会長。元・東京都知事
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報