鎮国寺(読み)チンコクジ

デジタル大辞泉 「鎮国寺」の意味・読み・例文・類語

ちんこく‐じ【鎮国寺】

Chua Tran Quocベトナムの首都ハノイタイ湖東岸にある仏教寺院。6世紀半ば、前李朝李賁りふんの時代にホン川沿いに開国寺の名で建立。17世紀に同地に移設され、現名称になった。同国最古の寺院として知られる。仏教由来の仏像ほか民間信仰の聖母道の神々や中国の武将関羽の像などがある。

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日本歴史地名大系 「鎮国寺」の解説

鎮国寺
ちんこくじ

[現在地名]宗像市吉田

つり川の右岸、字川端かわばたにある真言宗御室派の寺院で、屏風山と号し、本尊大日如来。弘長三年(一二六三)三月一五日の大宮司宗像長氏寺領寄進状(宗像記追考)によれば、長氏は宗像大菩薩鎮国寺へ四至を限り寺領を寄進している。寄進状に「本地垂迹所令相応也」「当社領惣寺也」とあるように、宗像社の神宮寺であった。また皇鑑を長老となすとある。同年六月一二日、皇鑑は雨乞のために請雨経を転読している(鎮国寺石窟内線刻釈迦如来演説像銘)。文永二年(一二六五)八月九日の太政官符案(鎮国寺文書/鎌倉遺文一三)によると、長氏の寄進した寺領は殺生禁断の地とされている。同符案には当寺に安置されている辺津へつ宮の第一宮・第二宮・第三宮許斐このみ熊野権現鐘崎織幡かねざきおりはた明神の五社の本地仏について、大日如来・釈迦如来薬師如来阿弥陀如来如意輪観音であると記される。翌三年二月八日長氏は皇鑑を当寺院主職に補任した(「宗像長氏下文案」同上)


鎮国寺
ちんこくじ

[現在地名]西吉野村大字向加名生

向加名生むかいあのうの山上にあった寺院で、明治維新廃寺となった。真言宗古義派、高野山末に属し、神野山不動院と称した。本尊は不動明王。「大和志」に「後醍醐帝建為勅願寺」とあり、後醍醐天皇勅願所の木牌がある。また文久三年(一八六三)九月、天誅組追捕の途上に来寺した藤堂和泉守が白銀二枚、松平甲斐守が金一両、植村駿河守が金一両をともに寄進した由の額を掲げる。

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デジタル大辞泉プラス 「鎮国寺」の解説

鎮国寺

福岡県宗像市にある寺院。806年創建。真言宗御室派別格本山。宗像大社沖津宮、中津宮、辺津宮(へつのみや)の三宮の総称)、織幡神社とあわせて「宗像五社」と称する。桜、ツツジなど花の名所

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世界大百科事典(旧版)内の鎮国寺の言及

【鎮護国家】より

…そして,仏は正法の興隆を仁王に付嘱したと説く《仁王般若経》に基づき,仁王大斎や仁王講経が,陳代を通じて宮中で行われ,智顗(ちぎ)も講じた。隋・唐時代には,大興国寺とか大安国寺あるいは鎮国寺といった名称の寺院が各地に造建され,鎮国道場が開かれたが,とくに新しく《仁王護国般若経》を漢訳し密教に立脚した不空が国のために灌頂道場をおくにいたって,仏教の鎮護国家化は頂点に達した。 日本においてはこれらの動向をうけて660年(斉明6)5月に仁王会が行われ,677年(天武6)11月には諸国で《金光明経》《仁王経》の講説が行われ,宮中においても《金光明経》が講説されるにいたり,以後律令国家成立に密接な関係をもつようになった。…

※「鎮国寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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