鏡面に神仏の姿や梵字などを線刻または墨書し,社寺に奉納,礼拝したもので,御正体(みしようたい)とも呼ばれる。日本では平安時代から江戸時代まで盛んに製作された。古来,鏡は万象を照らし映し出す神秘的な性格のために霊宝として尊崇され,神社の御神体としてまつられる一方,仏教においては鏡を仏の霊と観じる思想も行われ,仏像の胎内に納めたり,壇鏡や荘厳具としても用いられた。これに天台法華の教義に基づく神仏習合の思想が加わり,鏡面に本地仏や種子を刻出するようになったものがいわゆる鏡像で,はじめ日本で創始されたと考えられていたが,入宋僧の奝然(ちようねん)が帰朝のおり請来した釈迦如来像(清凉寺)の胎内より線刻水月観音像が発見されるに及んで,中国でも製作されていたことが明らかとなった。鏡像の遺品の多くは経塚から発掘されており,奈良金峰山経塚,和歌山那智経塚は多数の鏡像を遺存していた経塚として著名である。技法的には,鋳銅製の鏡面に蹴彫(けりぼり),毛彫,あるいは針書きなどの細い線で図像を表したものが多く,なかには墨書のものもある。鎌倉以降になると必ずしも鏡を用いず,円盤状の銅板に磨きをかけ,表面に線刻を施したものも作られ,これはやがて立体的な打出仏や,鋳造仏を銅板や木の板に取り付けた懸仏(かけぼとけ)へと発展してゆく。描かれた図像としては,金山彦神,水分(みくまり)神,天照大神などの神像を表した神影鏡と呼ばれるもの,十一面観音,蔵王権現,大日如来,釈迦三尊,薬師三尊,地蔵菩薩などの仏像を表したもの,大日,薬師,阿弥陀などを表す梵字を墨書,朱書,あるいは金泥書したものに大別される。諸種観音,薬師,阿弥陀はとくに多く,平安・鎌倉期における現世信仰の隆盛をうかがわせる。また紀年銘のある遺品としては永延2年(988)銘の線刻阿弥陀五仏鏡像(広島,個人蔵),長徳3年(997)銘の線刻中台入葉院曼荼羅鏡像(鳥取,三仏寺)などが古く,鏡像の始まりは10世紀以前と考えられる。
執筆者:大角 幸枝
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…像(イマーゴ,イメージ)が映ること自体が驚異であったことは確かだが,同時に映像は実体に劣るものという認識も確立した。プラトンのイデア論はこれを比喩に用いているし,キリスト教神学の基盤となったパウロの教え(《コリント人への第1の手紙》13:12)でも,現世の人間に可能な認識形態はおぼろげな鏡像にすぎぬ,という比喩を立てている。この比喩はキリスト教象徴神学の根幹であり,中世思想を深く支配した。…
…神の依代(よりしろ)として作られた鏡に御正体(みしようたい)としての神像や本地垂迹説による仏像などをあらわしたもので,その形態から鏡面に毛彫,線刻,描画したものを鏡像とよび,鏡面や鏡地板に別製の薄肉または厚肉の神像や仏像をとりつけたものを懸仏とよんでいる。平安時代の御正体の主流は鏡像で,その在銘最古のものとして永延2年(988)銘の線刻阿弥陀五尊鏡像(重文)がある。…
…神社で鏡をひもろぎとして御正体と称するのは古俗であったが,この鏡の表面に,仏像を線刻するようになった。鏡像とか本地仏御正体と呼び,遺品は12世紀ごろから伝わっている。また,鏡面の線刻にとどまらず,レリーフのように半肉彫の仏像をはりつけた鏡もあらわれ,懸仏(かけぼとけ)と呼ばれる。…
※「鏡像」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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