正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。ただこれら農家の行事が武家の具足開きなどと同じく,20日から11日に移されたものかどうかは明らかでない。ともあれ,この日に鏡餅を下げて大正月に一応の区切りをつけ,新たな仕事を開始しようとする観念があったのであり,現在でも行っている所は少なくない。なお,4日,7日等に鏡餅を下げる所もある。
執筆者:田中 宣一
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正月の鏡餅(かがみもち)を下げて食べる儀式。お供え開き、お供えくずし、鏡割りなどともいう。現在は1月11日、以前は20日が一般的であった。徳川の3代将軍家光(いえみつ)の忌日が20日であるため、11日に繰り上げられたという説がある。武家では具足(ぐそく)開きといい、鎧兜(よろいかぶと)に供えた具足餅を下ろして雑煮にして食べた。婦人は鏡台に供えた鏡餅を同様にして食べた。武士は刃柄(はつか)を、婦人は初顔(はつかお)というように、それぞれもっとも重視する道具と二十日(はつか)との語呂(ごろ)合せを祝った。近来は武道の寒稽古(かんげいこ)に引き継がれ、終わった日に鏡餅で汁粉をつくって食べることが多い。鏡餅は刃物で切ることを忌み、手で欠いたり槌(つち)でたたいたりして割る。開くというのは縁起を担いで、めでたいことばを使ったものである。鏡餅は本来、稲作に伴う儀礼で、農耕神としての歳神(年神)(としがみ)への供物であったろう。それを下ろして食べることは、正月の祭りの終わりを意味するものであったはずであるが、暦の混乱のためか、あるいは開くという語感から転じたものか、むしろ仕事始めの意味に解する場合が多く、期日も2日や4日に行う例がある。現在鏡開きの日とされている11日も、商家の仕事始めにあたる蔵開きの日と一致する。
[井之口章次]
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