日本の中世および近世に見られる被支配者身分の一つ。〈亡土〉とも書き,〈もうど〉ともよむ。中世の農村においては,住人百姓によって構成される村落共同体の正式の構成員になれない農民をいう。間人の特徴の一つは,浮浪性の強い点である。15世紀末の若狭国太良荘(たらのしよう)では,〈昨日今日地下(じげ)に在付(ありつき)候やうなるまうと(間人)〉といわれている。そこから流浪の旅芸人などとも近い関係にあった。14世紀初頭の太良荘に大門傔仗なる間人がいたが,彼の家には荘内をあるきまわって乞食をする盲目法師が寄宿していた。非人の宿のような役割をはたしていたもので,そこからは間人自身が賤民に近い存在だったことがうかがわれる。しかし下人,所従のように特定の主人に隷属していたわけではなく,身分的には自由な存在だった。経済的にもかならずしも貧窮なものばかりではなく,1295年(永仁3)の美濃国大井荘には,5町以上の土地を保有し,某殿と敬称をつけてよばれる間人もいた。間人は漁村にもいて,12世紀初頭の摂津国長洲御厨(ながすのみくりや)には,京都の賀茂御祖(かもみおや)神社の神人(じにん)300人のほかに間人200人が居住していた。この場合の間人も,定数のきまった神人集団の正式構成員になれない漁民のことで,農村の場合に異ならない。近世では,阿波,土佐,周防,長門,隠岐などに間人百姓,亡土百姓,間脇(まわき)などという身分が存在する。本百姓よりは下,名子(なご),下人よりは上の身分といわれ,賦役負担においては,阿波の間人百姓は本百姓の2分の1,名子,下人は3分の1と定められていた。村寄合(よりあい),宮座などにおいて発言権がないなど,権利を制限されていることが多く,やはり中世の場合と同じく村落共同体の正式構成員とはみなされていなかったのである。
執筆者:大石 直正
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中世村落において、そこに居住はしているがまだ住み着いてからの歳月が浅く、完全な村落成員(住人)としての権利を与えられていない人をいう。浮浪するか一時的に居住する浪人と住人の中間に位置する村落共同体における一つの身分である。13世紀中葉の若狭(わかさ)国太良荘(たらのしょう)(福井県小浜(おばま)市)では、間人が家をもち乞食(こじき)の盲目法師を寄宿させており、15世紀前半の丹波(たんば)国多紀(たき)郡主殿(とのも)・犬甘保(いぬかいほ)(兵庫県丹波篠山(ささやま)市)では、鍛冶(かじ)と紺屋(こうや)が間人と称されていた。15世紀後半の太良荘の史料に「昨日今日この地に住みついたような間人」という侮蔑(ぶべつ)的な表現がみられ、間人が新参の住民であることがわかる。
[峰岸純夫]
「もうど」とも。中世荘園公領制下での名主の対極に位置する新参の下層民の身分呼称。荘園村落では一色田(いっしきでん)や名田の耕作などに従事し,宮座や寄合などにおいて差別待遇をうけた。寺社や武家の下部の一部も間人という。近世では,おもに西日本で本百姓から排除された下層身分として存在した。高(たか)をもたず,門役・家役などの負担に差があり,村落内の諸権利に制約を受けた。地域により間脇(まわき)・間男・亡土・間人百姓・間百姓などとよばれた。
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…人名株を持たぬ者は毛頭(もうと)と呼ばれ,役負担のない代りに田畠・漁場の領知権は認められていなかった。毛頭は耕地を持たぬ無高百姓をさす間人(もうと)と同義であろう。本島の小坂浦は人名株を持たぬ毛頭のみの純漁村で,漁業税等を納入して漁業を営んでいたが,1868年(明治1)維新で人名の特権は解消したとして,人名諸浦と衝突,逆に焼打ちにあっている。…
※「間人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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