間人(読み)もうと

精選版 日本国語大辞典「間人」の解説

もうと まうと【間人】

〘名〙
中世荘園制で、平民百姓の最下層に当たる農民で、村落農民のうちでも新しくはいって来たもの。荘園内の領主直営地の一色田や名田の一部を請作(うけさく)した。乞食・非人・散所(さんじょ)などとともに賤民とみられることがあった。
今堀日吉神社文書‐応永一〇年(1403)二月日・座公事掟状案「ちけの中人・まうとの人々にをいては、三つあゆにてありとも、しもにつくへし」
武家召使の男。中(ちゅうげん)
※長宗我部氏掟書(1596)七九条「間人成敗之時者、其家財宝共々可被召上」
近世本百姓に対して土地を持たない農民。水呑百姓

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「間人」の解説

間人
たいざ

京都府北西部,京丹後市地区地名は,聖徳太子の母穴穂部間人皇女 (あなほべのはしひとのこうじょ) が,乱を避けこの地に滞在し,のちに退坐したことによる。丹後半島北岸の小さな入江に面し,漁業が盛んで,かつては朝鮮近海にまで出漁していたこともあるが,現在は沿岸漁業が主。丹後縮緬の機業を行なう家も多い。城島の景勝地がある。

間人
もうど

「もうと」とも読み,亡土とも書く。鎌倉~室町時代では名主 (みょうしゅ) より身分が低く,江戸時代では本百姓より身分の低い,田地をもたない下層農民をさした。ただし江戸時代では西南日本に多く,鎌倉~室町時代の名残りとされる。

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旺文社日本史事典 三訂版「間人」の解説

間人
もうど

江戸時代の隷属農民
「亡土」「間男」などとも書き,古代の良・賤民の中間,または田地を所有しない階級。江戸時代,無高で高持百姓に隷属し,の祭や寄合などに参加する権利がなく,夫役負担も軽かった。身分が固定したため,高持になっても身分を脱することは困難で,一般に水呑百姓といわれた。

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デジタル大辞泉「間人」の解説

もうと〔まうと〕【人】

《「もうど」とも》
中世の村落で、住み着いてから年月が浅く、正式な村の住人としての権利を認められていない者の称。
武家の召使いの男。中間ちゅうげん
近世、本百姓に対し土地を持たない農民。

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世界大百科事典 第2版「間人」の解説

もうと【間人】

日本の中世および近世に見られる被支配者身分の一つ。〈亡土〉とも書き,〈もうど〉ともよむ。中世の農村においては,住人百姓によって構成される村落共同体の正式の構成員になれない農民をいう。間人の特徴の一つは,浮浪性の強い点である。15世紀末の若狭国太良荘(たらのしよう)では,〈昨日今日地下(じげ)に在付(ありつき)やうなるまうと(間人)〉といわれている。そこから流浪旅芸人などとも近い関係にあった。14世紀初頭の太良荘に大門傔仗なる間人がいたが,彼の家には荘内をあるきまわって乞食をする盲目法師が寄宿していた。

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世界大百科事典内の間人の言及

【人名制】より

…人名株を持たぬ者は毛頭(もうと)と呼ばれ,役負担のない代りに田畠・漁場の領知権は認められていなかった。毛頭は耕地を持たぬ無高百姓をさす間人(もうと)と同義であろう。本島の小坂浦は人名株を持たぬ毛頭のみの純漁村で,漁業税等を納入して漁業を営んでいたが,1868年(明治1)維新で人名の特権は解消したとして,人名諸浦と衝突,逆に焼打ちにあっている。…

※「間人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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