(読み)キョウ

デジタル大辞泉 「響」の意味・読み・例文・類語

きょう【響】[漢字項目]

常用漢字] [音]キョウ(キャウ)(漢) [訓]ひびく とよむ
音や声が空気に乗って伝わる。ひびき。「音響残響反響余響交響楽
音がひびくように作用が及ぶこと。「響応影響
[名のり]おと
[難読]玉響たまゆら

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精選版 日本国語大辞典 「響」の意味・読み・例文・類語

ひびき【響】

〘名〙 (動詞「ひびく(響)」の連用形の名詞化)
① 音や声のひろがり伝わって聞こえること。ひびきわたること。とどろくこと。また、その音や声。音響。
※書紀(720)欽明一四年五月(寛文版訓)「泉郡の茅(ち)渟海の中に梵音(のりのおと)す。震響(ヒヒキ)雷の声の若し」
② 反響。こだま。〔匠材集(1597)〕
③ 震動。
※二十五絃(1905)〈薄田泣菫〉天馳使の歌・なかだえ「あなや、地鳴の璺(ヒビキ)より、光は背(せな)に洩るるやと」
④ 音や声の末尾。語尾の母音。耳に聞こえる音や声の感じ。余韻。また発語などをしている人の、その語を通して聞き手にうけとれる感情など。
※源氏(1001‐14頃)若菜上「琴の緒も、いとゆるに張りて、いたうくだして調べ、ひひき多く合はせてぞ、かきならし給ふ」
※平家(13C前)一「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
⑤ 世間に広く知れわたること。世の評判となること。世間が評判し、大騒ぎをすること。とりざた。
※源氏(1001‐14頃)若菜上「さばかりの御いきほひなれば、わたり給御儀式など、いと、ひひき殊なり」
⑥ 関係が他に及んでいくこと。他にさしひびくこと。さしひびき。影響。
※霊異記(810‐824)上「苦楽の響(ヒビキ)は、谷の音に応ふるが如し。〈興福寺本訓釈 響 比々支波〉」
※吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉一「アンドレア、デル、サルト事件が主人の情線に如何なる響を伝へたか」
いびき
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「ゆるりの松かがり消へて、鼾(ヒビキ)ばかりなりぬ」
⑧ 俳諧の連句で、前の句に付ける時の技巧の一つ。前の句の感情の動きを受けて、そのまま次の句に表わし出すこと。「匂(におい)」「移り」とともに、特に芭蕉連句において、基本的な付け合いの手法とされた。
※俳諧・葛の松原(1692)「世に景気附・こころ附といふ事は侍れど〈略〉響(ヒビキ) 夜明の雉子は山か麓か 五む十し何ならはしの春の風」

ひび・く【響】

〘自カ五(四)〙
① 大きな、また、高い音・声が広がり伝わる。とどろきわたる。鳴りわたる。
※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)五「大きに梵り響(ヒヒキ)震ふ雷と音とのごとし」
② 音・声が物にぶつかり、はね返ってくる。また、震動が伝わっていく。反響する。こだまする。
海道記(1223頃)鎌倉遊覧「湾水、響きそそひで夜の夢を洗ふ」
※延慶本平家(1309‐10)一本「勧請の句をはたと打上給たりければ、三十三間をひびき廻くり」
③ 音が長く尾を引く。余韻を生ずる。
※源氏(1001‐14頃)総角「夜深きあしたの鐘の音かすかにひびく」
④ 世に広く聞こえわたる。評判が高くなる。
※源氏(1001‐14頃)若菜上「よからぬ、世の騒ぎに、かるがるしき御名さへひびきて、やみにしよ」
⑤ 大騒ぎする。騒ぎたてる。
※蜻蛉(974頃)上「一京ひびきつづきて、いとききにくきまでののしりて」
⑥ 心に感ずる。また、感覚に訴える。ある意味や感情がききとれる。
※俳諧・都曲(1690)上「結ぶより早歯にひひく泉かな〈芭蕉〉」
※行人(1912‐13)〈夏目漱石〉友達「自分達には変に響(ヒビ)く言葉を使って」
⑦ 関係が及ぶ。他へ影響する。
※幕末御触書集成‐一〇一・安政三年(1856)八月八日「条約に響候義を、其地にて直に決着可致筋無之候間」

ひびか・す【響】

〘他サ五(四)〙
① 音や声を出す。出して聞こえるようにさせる。
※大唐三蔵玄奘法師表啓平安初期点(850頃)「阿に巣(すく)ひて律を響(ヒヒか)す」
② とどろきわたらせる。大地を揺り動かしたり、大気を震わせたりする。また、勢いにおそれおののかせる。おそれなびかせる。
※宇津保(970‐999頃)楼上上「今より何事も、世の中をひびかすこそいと妬けれ」
③ 広く世間に知れわたらせる。うわさの的とさせる。大きな反響をおこす。評判を立てさせる。
※大鏡(12C前)五「かくよをひひかす御孫のいでおはしましたる」
④ ほのめかす。暗示する。あてつける。

ひび・ける【響】

〘自カ下一〙 =ひびく(響)
滑稽本東海道中膝栗毛(1802‐09)五「イヤもふ、ものをいふさへ、あたまへひびけてならぬ」
※江戸から東京へ(1921)〈矢田挿雲〉三「郷里の熊野では文左衛門の名は可成り響(ヒビ)けてゐた」

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日本歴史地名大系 「響」の解説


ひびきなだ

山口県大津おおつ油谷ゆや川尻かわじり岬から同県下関市ひこ島までの海岸を東端とし、福岡県宗像郡大島おおしま村大島から宗像市(地ノ島)を経て同市鐘崎の鐘かねざきのかねノ岬を結ぶ線から北九州市小倉北区に至る海岸を南端とする海域。東端は関門かんもん海峡につながり、西は対馬海峡、北東側は日本海、西は玄界灘と結ばれている。海域はおおむね水深五〇メートル未満で、朝鮮半島から北部九州、そして東シナ海から中国大陸へとつながる広い大陸棚の一部を構成する。沿岸海域のうち北九州市の若松わかまつ区北東部から戸畑とばた区北部を経て小倉北区北部に至る海域は、沖合五キロ前後まで埋立てられて海域が狭まったため、海上保安庁では小倉北区うま(小六連島)と下関市六連むつれ島付近を響灘と関門海峡の境界としている。福岡県の響灘沿岸の市町村は宗像郡大島村、遠賀おんが岡垣おかがき町・芦屋あしや町、若松区で、若松区の響灘埋立地や航空自衛隊芦屋基地周辺を除いてほぼ全域が昭和三一年(一九五六)に玄海国定公園に指定されており、風光明媚で変化の多い自然海岸が比較的良好に保全されている。西部の大島・地島・鐘ノ岬および岡垣町の黒崎くろさき鼻から波津はつにかけての海岸は白亜紀の関門層群の火山岩類から構成される岩石海岸で、島嶼部では急峻な海食崖が、岡垣町などでは海食台がそれぞれ発達している。岡垣町波津から芦屋町の遠賀川河口までの沿岸は砂浜海岸で、その背後には三里さんり松原と称する雄大な砂丘地帯が広がり、その標高は五〇メートル以上に達する。遠賀川右岸の芦屋町山鹿やまがから若松区安屋の脇田あんやのわいたまでの海岸は漸新世の頁岩・砂岩・礫岩の互層が露出し、海食台が発達して差別浸食に伴う景観変化がみられる。同区頓田とんだ以東の海岸は近年大規模に埋立てられた。

〔古代・中世〕

 比治奇ひじきの灘は響灘の古名といわれる。天平二年(七三〇)一一月、大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられて任所の大宰府から京に上る際に、海路をとった従者らが詠んだ歌に「昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも」とある(「万葉集」巻一七)。歌の配列は航海の順序に従っており、二首前の歌に「荒津の海」(現福岡市中央区)、次の歌に「淡路島」がみえるので、その間の航路上の海域名となる。そこで「ヒジキ」が転訛して「ヒビキ」となったと考えるのだが、響灘は「おとにききめにはまだみぬはりまなるひびきのなだときくはまことか」(忠見集)などとあるように播磨国にもみえ(「能因歌枕」も「ひゞきのなだ」を播磨国の歌枕とする)、問題なしとはいえない。


ひびきなだ

関門かんもん海峡を西へ出た水域で、北は大津おおつ油谷ゆや町の川尻かわじり岬まで、南は福岡県の海岸、西は同県宗像むなかた郡の大島おおしましまかねみさき辺りで玄界灘と接する。「万葉集」巻一七に

<資料は省略されています>

とある「比治奇の奈太」が、響灘であろうともいわれる。古来、瀬戸内海と北九州および大陸を結ぶ海上交通の幹線として重要な役割を果してきた。響灘に面する海岸線の砂丘上には、早くから人が住みつき生活が営まれたらしく、多くの考古遺跡が発掘されている。とくに豊浦郡豊北ほうほく神田上かんだかみ土井どいはま遺跡や、豊浦町川棚かわたななかはま遺跡、下関市の綾羅木郷台地あやらぎごうだいち遺跡、同安岡やすおか半島のむらさきの野遺跡などが著名である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「響」の解説

株式会社ダイナックホールディングスが展開する和食店・居酒屋チェーン

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