デジタル大辞泉
「飯豊山」の意味・読み・例文・類語
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いいで‐さんいひで‥【飯豊山】
- 山形、新潟、福島の県境付近にある山。飯豊山地の主峰。八月には山頂の飯豊山神社(五社権現)への豊作祈願の登山者が多い。標高二一〇五メートル。飯出山。
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飯豊山
いいでさん
福島県耶麻郡山都町・西会津町・熱塩加納村、山形県西置賜郡小国町・飯豊町、新潟県東蒲原郡鹿瀬町・新発田市・北蒲原郡黒川村・岩船郡関川村にまたがる連山の総称。飯豊連峰・飯豊山地ともいう。本山といわれる飯豊山(二一〇五・一メートル)を中心に、南東に草履塚(一九〇八メートル)・種蒔山(一七九一メートル)・三国岳(一六四四メートル)・地蔵山(一四八五・二メートル)、北東に地蔵岳(一五九九メートル)、南西に御西岳(二〇一二・五メートル)・大日岳(二一二八メートル)・西大日岳(二〇九一・九メートル)、北西に烏帽子岳(二〇一七・八メートル)・北股岳(二〇二四・九メートル)・地神山(一八四九・六メートル)などの諸峰がある。歴史的に、または狭義には信仰の中心で飯豊山(飯豊)神社が祀られる飯豊山をさす。福島・山形・新潟三県の県境は三国岳の山頂であるが、そこから北西約三・五キロの飯豊山神社までの尾根伝いの道は福島県に属している。
〔開創伝承〕
飯豊山の開創伝承によると、二人の猟師によって開かれたとする。天保九年(一八三八)の飯豊乃山ふみ(米沢市立米沢図書館蔵)に「永保元年に、高嶺といへる里の、ちゑだんかいといふふたりの猟人、此山をひらきたりし」とある。現小国町に残る伝承では、高峰村(現飯豊町)の二人の猟師(南海・知影)とか、箱口(現小国町)の兄弟の猟師(のち山伏となり、知影・南海と称した)とも伝える。高峰には南海の墓と称するものがある。また喜多方市豊川町米室の綾金にも南海行人の塚があり、飯豊山を開いた行人と伝える(豊川村誌)。一方「会津正統記」は、唐の青龍寺の尊通国師智道と役小角の両人が開いたとし、また飯豊山礼拝次第(米沢市立米沢図書館蔵)では、役小角が開き、徳一と弘法大師が中興したと記す。
〔飯豊神社とその本体〕
山頂には飯豊神社が祀られるが、寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に「飯豊神社在山頂一王子、二王子、三王子、四王子、五王子謂之五権現」とあるように、五王子の総体をいう。
飯豊山
いいでさん
越後山脈の北部に位置し、標高二一〇五・一メートル。西方の御西岳(二〇一二・五メートル)、北西の烏帽子岳(二〇一七・八メートル)・北股岳(二〇二四・九メートル)、南西の大日岳(二一二八メートル)、南東の種蒔山(一七九一メートル)・地蔵岳(一五三八・九メートル)などとともに連峰を形成、山頂には飯豊山神社が祀られる。飯豊連峰(飯豊山地)は古生層およびこれを貫く花崗岩からなる隆起山地で、山形・新潟・福島の三県にまたがり、山形県下では西置賜郡飯豊町・小国町、米沢市などが山域に含まれる。なお山頂付近は本来山形・新潟の県境に位置するものの、飯豊山神社への参詣路沿いに細長く福島県域が割込んでいる。山名の「飯」が通じるところから稲作信仰の山として古くから信仰の対象となった。「延喜式」神名帳には陸奥国一〇〇座のうちに「飯豊神社」(賀美郡)、「飯豊比売神社」(白河郡)、「飯豊和気神社」(安積郡)と飯豊を共有する三座がみえ、また他国には同記の神社はないものの、これらの諸社との関連は明らかではない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
飯豊山【いいでさん】
山形・福島・新潟3県境,阿賀野川と荒川にはさまれた地塁山地。飯豊連峰とも呼ばれる。花コウ岩を主とし一部は古生層,第三系からなる。主峰の飯豊山(2105m),最高峰の大日岳(2128m)など2000m前後の山が連なって定高性を示し,非火山性の山では東北地方で最も高い。クマ,カモシカ,サルが生息,山頂部には高山植物が生育,未踏地域が多い。白鳳期に智通が開いたとも,また9世紀に空海が,11世紀に南海らが開いたともいう。飯豊山頂に飯豊神社五社権現がまつられている。磐梯朝日国立公園に属し,小国,西会津,山都(現・喜多方市)各町から登山路がある。
→関連項目飯豊[町]|越後山脈|喜多方[市]|新発田[市]|日本百名山|山形[県]|米坂線
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飯豊山 (いいでさん)
広義には飯豊山地をさし,狭義には古来信仰の対象となった新潟・山形・福島県境にある山(2105m)をさす。山域の大部分は新潟,山形両県に属するが,山頂部の飯豊山神社の境内敷地と南の三国岳から稜線上を延びてくる登山路だけは福島県の領域となっている。これはこの山の歴史が会津藩領の一ノ戸口の宗教登山を中心に作られてきたことを反映するもので,1878年から1917年にわたって法廷で争って決定されたいきさつがある。16世紀末に会津藩主蒲生氏郷が信仰して登山路を開き,社殿を修築して以後繁栄するようになったといわれる。山名の由来については秀でた山,飯を豊かに盛った形,湯の出る山,祭神名からなどの諸説がある。飯豊山神社は,大国主神の5人の王子をまつる五つの社祠から成っていて五社権現と呼ばれていた。現在の神社本殿は四ノ王子,頂上小屋が三ノ王子,一等三角点2105.1mは五ノ王子にある。
広義の飯豊山は,北の朳差(いぶりさし)岳から,最高峰の大日岳(2128m),北股岳(2025m),薬師岳,種蒔(たねまき)山,地蔵岳などを含むもので,通常,飯豊連峰と呼ばれるが,自然地域名称では飯豊山地とされている。2000m級の山の少ない東北地方では大山地であるため東北アルプスとも呼ばれる。山体は古生層を貫いて逬入(へいにゆう)した花コウ岩類からなり,山頂部のゆるやかな小起伏面は高山植物が豊かであるが,谷筋は険しく,氷河の作った圏谷の開析された地形と長い雪渓などがある。1950年に磐梯朝日国立公園に指定されてからとくに登山が盛んになった。福島県喜多方市の旧山都町,山形県小国町,新潟県新発田市などから登山道が通じる。
執筆者:五百沢 智也
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飯豊山
いいでさん
山形,新潟の県境にある山。標高 2105m。越後山脈中部の主峰で,おもに花崗岩から成る山地。南西に大日岳 (2128m) ,ほかに西大日岳 (2092m) ,御西岳 (2012m) ,牛首山 (1982m) など 2000m前後の山が連なり飯豊山地を構成する。地元では信仰の山とされた。山頂にはハイマツ,岩場にはミヤマウスユキソウなどの高山植物がみられる。サル,クマ,カモシカなども生息する。頂上からの日本海,越後山脈の山々,吾妻火山群,朝日岳などの展望は雄大。山頂に飯豊山神社がある。磐梯朝日国立公園に属する。
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飯豊山
いいでさん
新潟、福島、山形3県の県境付近にある名山。磐梯朝日国立公園(ばんだいあさひこくりつこうえん)に含まれる飯豊山地の主峰。標高2105メートル。山体は古生代の花崗(かこう)岩から構成され、壮年期的侵食を受けた険しい山で、頂上は準平原面をなす花崗岩の小平坦(へいたん)面をもち、地元民の信仰の厚い飯豊山神社(福島県喜多方市(きたかたし))の奥社がある。付近は高山植物の宝庫でお花畑になっている。表登山口は、赤谷から湯ノ平温泉を経て、北股(きたまた)岳―御西(おにし)岳―飯豊山で、尾根歩きの縦走コースの眺望がすばらしい。
[山崎久雄]
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
飯豊山
(山形県・福島県・新潟県)
「日本百名山」指定の観光名所。
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