コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

馬英九 ばえいきゅうMa Ying-jeou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

馬英九
ばえいきゅう
Ma Ying-jeou

[生]1950.7.13. 香港
タイワン(台湾)の政治家。総統(在任 2008~16),中国国民党主席(在任 2005~07,2009~14)。中国共産党が 1949年に国共内戦で勝利したのち,イギリス領香港(→ホンコン特別行政区)に移った両親のもとに生まれた。1951年に家族とともに台湾に移り,タイペイ(台北)市で育つ。1972年国立台湾大学法学部を卒業し,奨学金を得てアメリカ合衆国に留学,1976年ニューヨーク大学で法学修士号,1981年ハーバード大学で法学博士号を取得。帰国後公職につき,1991年台湾国民大会代表に選出されて大陸委員会副主任委員に就任。李登輝総統時代の 1993~96年,連戦政権で法務部長(法務大臣)を務めた。1998年台北市長選挙で現職だった陳水扁を破って当選,2002年再選を果たした。2005年中国国民党主席に就任。2007年に台北市長時代の横領容疑で起訴され,党主席を辞したが,1審,2審とも無罪判決を受けた。2008年3月総統選挙に中国国民党から出馬し,台中関係の強化を訴えて与党民主進歩党民進党)の謝長廷に圧勝,5月に総統に就任した。在任中は台中間の空路・海路の直行便解禁,台湾企業の対中投資規制やタイワン(台湾)海峡の軍事的緊張の緩和など,台中関係の改善に努めた。2009年再び中国国民党主席となり,2012年の総統選挙では民進党の蔡英文を破って再選されたが,2014年地方選挙での大敗をうけ党主席を引責辞任。2016年5月任期を満了して総統を退任した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

馬英九【ばえいきゅう】

台湾の政治家。法学博士(ハーバード大学)。1950年,香港九龍で出生,台湾に移住。中山奨学金の給付生としてアメリカに留学。1984年帰台,蒋経国の英語通訳担当,国民党中央委員会副秘書長に。
→関連項目台湾中国国民党

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

馬英九
ばえいきゅう / マーインチウ
(1950― )

台湾の政治家。香港(ホンコン)生まれ。父親は軍人。1950年、両親とともに台湾に移住した。本籍は中国湖南省。アメリカのハーバード大学法学博士。5人の子供のなかで唯一の男児としてだいじに育てられ、台湾大学で法律を学んだあと、中国国民党の奨学金の給付生としてアメリカに留学、ニューヨーク大学で修士、ハーバード大学で博士号を取得。博士論文のテーマは沖縄・尖閣諸島(せんかくしょとう)(中国語名、釣魚島(ちょうぎょとう))の領有権に関するものだった。アメリカで銀行の法律顧問を経て台湾に戻り、1981年から蒋経国(しょうけいこく)総統の通訳を担当した。大陸委員会副主任委員兼スポークスマン、法務相などを歴任した後、1998年から台北(タイペイ)市長。2005年に国民党主席に選出され、2008年から台湾総統、2012年再選された。台湾の将来については、独立の動きには反対で、「最終的に中国との統一を目ざすが、いまは現状維持」との立場をとっている。総統選挙では「独立しない、統一しない、武力行使もしない」という「三つのノー」をスローガンに掲げた。政治姿勢は中国寄りとの批判もある。尖閣諸島問題や従軍慰安婦問題などで対日強硬姿勢を示す発言が多い。妻の周美青は同じく香港出身の外省人。2人の娘はアメリカの大学を卒業後、いずれもアメリカに残って芸術関係の仕事をしている。[矢板明夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

馬英九の関連キーワード台湾総統選(2016年)台湾の民族・出身構成中台サービス貿易協定台湾遊漁船沈没事故92年コンセンサスマーインチウ一つの中国台湾と中国沖ノ鳥島謝 長廷蕭 万長王 金平中台協議劉 兆玄外省人

今日のキーワード

白根山

① 栃木県と群馬県との境にある火山。山中に五色沼、北麓に丸沼・菅沼がある。海抜25...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

馬英九の関連情報