薬王院(読み)ヤクオウイン

デジタル大辞泉 「薬王院」の意味・読み・例文・類語

やくおう‐いん〔ヤクワウヰン〕【薬王院】

東京都八王子市にある真言宗智山派大本山。山号は高尾山。寺号は有喜寺。天平16年(744)行基の創建と伝える。南北朝時代に俊源が中興して飯縄いづな権現をまつり、真言と修験の教行一致の道場となった。

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精選版 日本国語大辞典 「薬王院」の意味・読み・例文・類語

やくおう‐いん ヤクワウヰン【薬王院】

東京都八王子市高尾町にある真言宗智山派の寺。山号は高尾山。有喜寺といい、狭義にはその別当坊の名。天平一六年(七四四)行基の開創と伝えられる。永和元年(一三七五)俊源が中興し、飯縄(いづな)権現をまつった。真言宗関東三山の一つ。

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日本歴史地名大系 「薬王院」の解説

薬王院
やくおういん

[現在地名]真壁町椎尾

筑波山の西にある椎尾しいお山の山上にある。天台宗、椎尾山と号し、本尊は薬師如来。一般には椎尾薬師とよばれる。

寺伝によれば延暦元年(七八二)最仙が法相宗の寺として開山し、同二〇年に最澄が天台宗に改め、天長二年(八二五)円仁が再興という。天台宗の檀林として盛期には四四坊を有したと伝え、慶長一八年(一六一三)徳川家康は次の法度(本光国師日記)を下している。

薬王院
やくおういん

[現在地名]加賀市山代温泉

山代やましろ温泉の総湯の南側にある。霊宝山と号し、真言宗智山派。本尊は薬師瑠璃光如来で、寺は俗に「お薬師」とよばれる。薬王院略縁起(滝谷寺文書)によると神亀二年(七二五)山代温泉に入湯した行基が温泉守護仏として薬王・日光・月光・十二神像を刻して石窟内に安置したのに始まり、その後北国遊歴中の花山院が精舎を建立したという。寺蔵の山代温泉并薬王寺記には、花山院に随従していた命覚房が住持となったが、天文年間(一五三二―五五)朝倉教景の兵火で焼失、慶長五年(一六〇〇)加賀藩主前田利長が寺領を寄進、大聖寺藩主前田利治の遺志により家臣村井長之が大聖寺城内の堂を移して薬師堂としたという。

薬王院
やくおういん

[現在地名]弘前市笹森町

笹森ささもり町の東側、東照とうしよう宮の西側にある。岩鬼山叡平寺と号し、天台宗。「新撰陸奥国誌」に本堂取壊しの際、寿福院へ本尊弥陀の像を移したとあるので、当時の本尊は阿弥陀如来。もと寛永かんえい(現東京都台東区)末寺。

津軽一統志」に、寛永元年(一六二四)東照宮を城内から東北に移転して安置し、薬王院を別当として寺院と社僧六家・神職二家を建てたとある。

薬王院
やくおういん

[現在地名]水戸市元吉田町

吉田よしだ神社の南に位置し、陸前浜りくぜんはま街道の西側の台地上にある。吉田山神宮寺と号し、天台宗。本尊は薬師如来。

吉田神社の神宮寺であり、その草創は平安時代初期と考えられる。古代・中世には吉田郡・那賀郡地方の天台教団の中心として栄え、常陸大掾氏とその一族の帰依と保護を受けた。鎌倉末期には公家武家兼帯の祈祷所として幕府と密接に関係し、建久四年(一一九三)常陸大掾一族の馬場氏が常陸大掾職となってからは代々馬場氏の庇護を受け、応永二九年(一四二二)江戸氏が水戸城を奪ってからはその庇護を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「薬王院」の意味・わかりやすい解説

薬王院
やくおういん

東京都八王子市高尾(たかお)町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の大本山。高尾山薬王院有喜(ゆうき)寺が正式名称。本尊は薬師如来(にょらい)。成田山新勝(しんしょう)寺、川崎の平間(へいけん)寺(川崎大師)とともに真言宗関東三山の一つ。744年(天平16)聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基(ぎょうき)が創建したと伝えられる。1375年(天授1・永和1)俊源(しゅんげん)が高尾山中に籠(こも)り飯縄権現(いづなごんげん)(不動明王の化身)を勧請(かんじょう)して祀(まつ)り、それ以来修験道(しゅげんどう)の修行道場となった。1560年(永禄3)北条氏康(うじやす)が山林540町余を寄進し、北条氏照(うじてる)は五重塔を建立した。安永(あんえい)年間(1772~1781)に秀興(しゅうこう)が住持となってから寺運は興隆した。当寺は薬師信仰の本堂と飯縄権現信仰の本社、すなわち真言と修験の教行一致した道場として江戸時代から民間の信仰を集めた。寺域の高尾山上には江戸初期建立の本堂、奥の院、仁王(におう)門(いずれも都重要文化財)などが杉木立のなかに点在している。寺宝は地蔵菩薩(ぼさつ)像、不動明王両童子像、上杉輝虎(てるとら)筆両界曼荼羅(まんだら)制札など多数ある。3月第2日曜日に行われる「火渡り祭」は名高い。

[祖父江章子]

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百科事典マイペディア 「薬王院」の意味・わかりやすい解説

薬王院【やくおういん】

東京都八王子市高尾山山頂にある真言宗智山派の寺。山号は高尾山。行基の創建と伝え,鎌倉初期に俊源が飯縄(いいづな)権現をまつって中興したという。北条・徳川氏の外護を受け,修験(しゅげん)道の霊場として繁栄。17世紀後半焼失。再興後,成田不動,川崎大師と並ぶ隆盛をみせた。飯縄権現は現在も神社建築
→関連項目平間寺明治の森高尾国定公園

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「薬王院」の意味・わかりやすい解説

薬王院
やくおういん

東京都八王子市の高尾山にある真言宗智山派の寺院。号は高尾山有喜寺。天平 16 (744) 年に行基の開基と伝えられ,薬師仏を祀る。天授1=永和1 (1375) 年に醍醐寺の俊源が寺宇を中興し,飯縄権現の祠を建てた。のち一時衰えたが,元禄時代以後大いに栄えて今日にいたる。成田山新勝寺,川崎大師平間寺と並んで智山派関東三大本山の1つ。

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デジタル大辞泉プラス 「薬王院」の解説

薬王院

茨城県水戸市にある天台宗の寺院。延暦年間(782年~806年)の創建。1529年に建てられた本堂は、国の重要文化財に指定されている。

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