頭にかぶったり頭をおおったりするものの総称。防寒,防暑,防風などの保護機能はもとより,装飾機能や身分,階級,職業などを端的に示すシンボル機能も強い。さらに,神仏への畏敬の表現,吉凶時の喜悲や慎みの表現としても重要である。時代や民族の特性を如実に反映するものとして,古くから多種多様なものがみられる。被り物は身分や役割のはっきりしている社会,また文化の爛熟期に発達している。
冠,帽子,頭巾,笠,手ぬぐいなどの種類があり,材料としては絹,麻,木綿,ラシャ,紗,紙,藺(い),菅(すげ)などが用いられている。時代,身分,地域により独自の形態や用途がみられる。現在用いられている被り物は,東北,裏日本,中部山岳地帯に集中しており,寒冷地の農漁村の屋外作業用のものが多いのが特徴である。
3世紀ころに木綿を頭に巻きつけたことが《魏志倭人伝》の記述によって知られている。5世紀の古墳時代になると,大陸文化の影響で各種の被り物が盛んに着用されるようになった。推古天皇11年には冠位十二階の制度が,続いて701年(大宝1)には大宝律令が制定された。大宝令の衣服令では,隋・唐の制度にならって,礼服(らいふく)には礼冠(らいかん),朝服と制服には頭巾(とうきん)を用いることが定められた。また圭冠という略帽も多用された。平安時代になると礼服がすたれて束帯が着用されるようになり,それに伴って頭巾が冠と呼ばれかぶられるようになった。漆で塗り固めた極端に様式化したものである。直衣(のうし)が着用されるようになると,奈良時代の圭冠から烏帽子(えぼし)が生まれ,公家武家ともに用いた。もとは黒の紗,絹などで髻(もとどり)をそのままにしてかぶれるように,柔らかく袋状に作った日常的な被り物であったのが,平安時代になって黒漆塗りのものとなり,後代にはもっぱら紙で作られるようになった。烏帽子には立烏帽子と,上部を折った風折烏帽子,和船形の侍(さむらい)烏帽子などがある。この時代武士は,藺を綾編みして頭部をとがらせた綾藺笠を,女子は大型の浅い菅の市女(いちめ)笠を広く着用した。また女子では,日よけ雨よけを兼ねた垂衣(たれぎぬ)や,外出用で顔を隠す被衣(かずき)なども行われた。室町時代の被り物はだいたい前代の継承で,男子では烏帽子,藺や菅の笠,女子では市女笠と,白や黒の布を使った手ぬぐいかぶりの系統の桂包(かつらづつみ)が用いられた。ほかに剃髪した者の被り物として頭巾があった。安土桃山時代にはスペイン,ポルトガルから西洋帽子が渡来し,南蛮帽,南蛮笠の名で呼ばれ,戦国武将が好んで用いた。一般の人々の被り物の主流は笠であった。江戸時代は泰平の世である。多種多様な被り物が次々と登場し,流行の変化もめまぐるしい,被り物の全盛時代であった。被り笠は武士のみでなく,一般庶民の男女とも多用した。その様式から,編笠,組笠,縫笠,押え笠,張笠と,それらを加工した塗笠の6種にほぼ分類される。使い手によって,市女笠,虚無僧笠,六郎笠などの分け方もされる。素材,産地,用途によってもさまざまな名称をもつ。材料は,藺草,菅,稲藁,麦稈,檜・杉・松・竹などの削片,蒲葵(びろう)の葉,シュロの皮など多種にわたる。このうち,藺草や稲藁の編笠と菅の押え笠は,おのおの女子の日よけ,雨笠として現在にいたっている。
一方,布で頭を包む古くからの習風は,江戸時代に入ると,女子の被り物としての各種の帽子を生み出した。その代表的なものとしては,揚帽子,角帽子,野郎帽子,綿帽子がある。揚帽子は表は白,裏は紅絹の袷仕立てで,俗に白鷺と呼ばれた。芝居や野遊びの塵よけとしてかぶられたのが,近代になって角隠しと呼ばれるようになり,婚礼用として今に残っている。角帽子は揚帽子の白鷺に対して烏と呼ばれた和船形の帽子である。表裏とも黒の裂(きれ)で作られ,浄土真宗の婦人門徒が報恩講参詣時に使用したりした。野郎帽子は,若衆歌舞伎の女形(野郎)が前髪を剃った月代(さかやき)の部分を隠すために用いたものである。多く紫縮緬(ちりめん)で作られた。綿帽子は室町時代からあり男女ともにかぶったものだが,江戸時代に女子専用の深く顔を隠す被り物となった。現在婚礼時,花嫁が白の綿帽子をつける習俗が存続している。女子の帽子に対して,主として男子の被り物として,面部までおおう袋状の布製の頭巾がある。この時代被り物として一般化した。頭巾はその形態によって次のように分けられる。第1に円形に縫って縁や筒をつけた,主として僧侶や老人のかぶるもの,丸頭巾,角頭巾,炮烙(ほうらく)頭巾など。第2にこれに錣(しころ)と呼ばれる裂を顔の面や耳から後頭部につけたもの。僧侶の用いた錣頭巾,上方の武士や上流の町人の用いた宗十郎頭巾や韮山頭巾など。第3に目の部分だけあけた覆面状のもの。覆面頭巾,奇特頭巾,町方火消しの猫頭巾など。第4に片袖形の,頭部から肩をおおう頭巾。山岡頭巾と呼ばれる火事場や旅行用のもので,第2次大戦中の防空頭巾がこれである。江戸の武士はもっぱらこれを愛用した。農民が苧屑(おくそ)で編んだ苧屑頭巾もある。第5に風呂敷状の方形の布で頭と顔を包むようにしたもの。一般にお高祖頭巾の名で知られ,大正時代まで女子の間で流行した。現在でもこの系統の頭巾は,防寒労働用として東北の婦人たちに,フロシキボッチ,サンカクボッチあるいは角巻(かくまき)の名で親しまれ愛用されている。もう一つ江戸期の被り物として重要なのは手ぬぐいかぶりである。手ぬぐいは略式の手軽な,まさに庶民の被り物であった。かつて手ぬぐいは通常3尺(約90cm)あって今のものよりずっと大きく,洗面,防寒,戸外労働や祭礼時その他多目的に利用された。30種にものぼる被り方が錦絵に残っている。鉢巻,頰被り,姉さん被りなどおなじみの用法があり,現在にいたっている。以前は麻が使われたが,その後木綿になり,種々の色や模様が染められた。明治以降は文明開化とともに被り物も西欧化し,ハットやキャップなどの洋式の帽子類が急速に普及した。
従来の伝統的な被り物は,その一部が宮廷や社寺の儀式や,地方の戸外労働用の被り物として認められる程度である。労働用のものとしては手ぬぐいの系統が卓越している。特に東北地方で郷土色豊かな被り物が発達していて,秋田県の5尺の〈ながてぬげ〉や,〈たな〉と称される目と口だけ出してかぶる長い布が知られている。手ぬぐいかぶりの上に鉢巻をする風もみられる。東北を中心とした寒い地方では,裏付き綿入れの頭巾も多く用いられている。夏用の被り物としては茣蓙帽子(ござぼし),蓑帽子(みのぼし)がある。暖かい西日本ではもっぱら手ぬぐいをかぶる。信仰・儀礼面で今にのこる被り物の習俗としては,男子の御輿かつぎをはじめとする儀礼時の鉢巻や,伊豆の婦人たちが神仏に詣でるときの〈ひっしゅ〉という鉢巻姿。葬式のとき左袖をかぶる〈袖被り〉や,白の衣を頭からかぶる習俗,男子の忌中笠の着用や葬儀に参列する特定の親族が頭部に紙や布をいただく風など,神仏への礼装としての被り物の着用例を数えることができる。
西洋では被り物は衣服の一部として扱われてきたといえる。服装の中でも最もその変化を自由に楽しむことのできるものとして,時代背景に応じて,多種多様な形態を発達させてきた。
古代エジプトでは,男女とも頭を剃っていた関係で,鬘(かつら)を兼ねた大きな横縞の頭巾が用いられた。高位の者は,この上に身分をあらわす金銀宝石細工の禿鷹や蛇の飾りのついた丈の高い冠ティアラtiaraをつけた。メソポタミアでは,ティアラと,末端に房飾のついた薄手の布製リボン,ミトラmitraが用いられた。ミトラの変形であるターバン状の被り物も好まれた。ギリシア・ローマ時代には,被り物は旅行用・戦闘用以外にはほとんど用いられず,男性は布や金属製の細紐で,女性はリボンや飾り帯で頭髪を整えた。ビザンティン時代,服装は華美になり,女性は縁取りされた透明なベールをつけ,その上に金銀細工の輪や小さな帽子をのせた。中世には特徴のある各種の被り物が発達した。初期には,男性は頭にぴったりとしたベレー形の帽子をかぶり,婦人はベールをおもに用いた。12世紀には,男子は半球帽カロットやつばのついたフェルトの帽子や,シャプロンと呼ばれる頭巾をかぶった。この頭巾は中世を通じていろいろな形のものがあった。13世紀の貴族は孔雀の羽飾を帽子につけることを好んだ。14,15世紀には都市の発達とともに複雑で奇抜な被り物が次々と登場,より大きく,より装飾的になった。男性のシャプロンは管状の垂れ飾のついたきわめて装飾的なものとなった。女性ではエスコフォンと呼ばれる,両横に張った大きな髪形にネットをかぶせ,その上から針金などを使った大きな枠をのせてベールをかけた造形的な被り物がでてきた。次いで円錐形の高い三角帽子も流行し,これも上にベールをかぶせて髪にとめた。ルネサンス以降は極端な被り物は姿を消し,16世紀には男子の被り物は,頭に自然にそったベレー形が主流となった。後半にはスペイン風の帽子や,イタリアとイギリスでは麦藁帽子が流行した。16世紀から17世紀にかけてはキャップ形の帽子が発達した。婦人はボンネットやフードをハット・ピンで髪にとめてかぶった。ルイ13世のフランスの宮廷には,フォンタンジュと呼ばれるレースやリネンを幾重にもギャザーをよせてとりつけた婦人用ボンネットが現れた。ルイ王朝時代は大きな造形的鬘の全盛時代で,大きな髪形を守るために幌のついたタフタの女性用帽子カラシュが考案された。17世紀には,男性用のつばの広い黒のフェルト帽やビーバーハットが流行した。
ヨーロッパの被り物の歴史は,次にフランス革命を迎えて大きく転換してゆく。被り物はずっと単純なものへと移行していった。19世紀に入ると,軽快で簡便な帽子の時代になる。山高帽やシルクハットの全盛となる。19世紀後半はスポーツの普及とともに,カンカン帽,中折帽(ソフト帽),および鳥打帽などのキャップ形の縁なし帽がもてはやされた。女性では19世紀末までボンネット形が中心になった。20世紀にはイースターに新しい春の帽子をかぶって教会に行く習俗が生まれ,これに伴って,飾りたてた種々の帽子が考案された。新型のターバン,ベレーが現れる。第2次大戦後は無帽・断髪が流行,軽快でモダンなタウンハット以外のものはあまり用いられなくなった。代わって適宜頭にもかぶることのできるショール,ストール,スカーフのおしゃれが楽しまれるようになった。
西アジア,北アフリカではターバン,ベール(チャドル)が広く用いられている。砂漠の強烈な直射日光や砂塵からの頭部の保護を目的としたものであるが,イスラム教徒の印でもある。ベール(チャドル)とインドのサリーは婦人専用の被り物である。東南アジアの高温多湿地帯では笠系統の被り物が発達している。日射,豪雨や露をしのぐための,樹皮,竹皮や草茎類で編んだ半円紡錘状の被り物である。北アジアや内陸アジアの寒冷地帯では,防寒を目的とする毛皮やフェルトの帽子や,すっぽりと頭部をおおう頭巾類が使われている。そのほか,南米のソンブレロやアンデスのインディオの山高帽,ヨーロッパ・アルプスのチロルの農民のチロリアンハット等々特徴のある郷土色豊かな被り物が各地にある。
→衣服 →鬘(かつら) →身体装飾 →装身具
執筆者:鍵谷 明子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
頭部や顔面を覆う物の総称。冠(かんむり)、幞頭(ぼくとう)、帽子、笠(かさ)、頭巾(ずきん)、手拭(てぬぐい)、覆面やかつらなどがあり、これらは時代、身分、地域、用途によっていろいろに用いられる。本来被り物は、頭部を保護し防寒、防暑に用いる場合と、儀礼あるいは服飾構成の際に装飾として用いる場合とがある。材料には布帛(ふはく)、皮革、綿、紙、稲藁(いねわら)などが用いられ、さらにこれらの材料に、漆、渋、油などを塗って、その形を整えることも多い。これらは時世の変容、風俗の変化によって左右される。
[遠藤 武]
わが国では『日本書紀』や『古事記』などの古文献に、冠、笠のことがみえており、5、6世紀に盛行した埴輪(はにわ)の人物像にもいろいろの形の被り物が使われ、なかには黄金で鍍金(ときん)されたものさえある。これらは、古代中国文化の舶載によるものが多かった。603年(推古天皇11)には、隋(ずい)の服制に倣って冠位制度が敷かれ、ついで701年(大宝1)に大宝律令(たいほうりつりょう)が制定されてから、礼冠(らいかん)、頭巾(とうきん)が礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服の際の被り物となった。平安時代、礼服にかわって朝服である束帯が儀礼用となって、冠が公家(くげ)の間に使われ、同時に烏帽子(えぼし)が平常用の服飾に用いられた。当時公家社会では、たとえ病床にあっても、他人と会うときには被り物をつけることになっていた。このことは『源氏物語絵巻』からもうかがうことができる。女性は外出の場合、傾斜の深い市女笠(いちめがさ)をかぶったり、被衣(かづき)をかぶって、けっして素顔で出歩くことをしなかった。防寒や夏の毒虫の用心のため、市女笠のへりには、カラムシをベールのように下げて「枲(むし)の垂衣(たれぎぬ)」といった。
鎌倉時代となって武家社会は公家社会とは異なり挙動に便利な服装を用いたので、被り物は冠よりも烏帽子中心となった。烏帽子にも、立(たて)烏帽子、風折(かざおり)烏帽子、侍(さむらい)烏帽子が使われ、頭の蒸れを防ぐ意味から、紗(しゃ)に黒漆を引いたのを用いたが、のちには紙でつくって黒漆を塗るようになった。女性の間では、京都の桂(かつら)の女たちの風俗から出た桂巻(かつらまき)が行われた。室町時代は、武家社会であり、ことに応仁(おうにん)の乱(1467~77)以後となると、頭髪の蒸れを防ぐ意味から月代(さかやき)が行われた。安土(あづち)桃山時代前後からは、被り物をかぶらぬ露頂(ろちょう)という風俗が流行し、髪を後頭部でまとめた茶筅髷(ちゃせんまげ)が流行することとなった。また南蛮人の渡来で、新しく西洋の帽子がもたらされ、わが国では、これを南蛮笠、南蛮帽子といって珍重した。織田信長が前田利家(としいえ)の家臣に、戦勝の記念として与えたものが現存している。西洋の帽子は、江戸時代初期には一部の庶民の間に流行したが、露頂の風俗の一般化で、冠、烏帽子が儀礼用となり、外出には笠を用いることが多くなった。ことに万治(まんじ)年間(1658~61)に浪人の取締りが厳しくなってからは、手拭(てぬぐい)による頬(ほお)かぶりさえ禁じられたので、女性が被衣で江戸の街を歩くことも厳禁され、それはわずかに京風俗や婚礼風俗として残った。ただ防寒用、防暑用、あるいは風の吹くときのほこりよけに、男性は笠、頭巾、手拭を、女性は笠、帽子、手拭を用い、その種類、着装法、材料、染織もさまざまであった。山農漁村での労働用として用いる被り物は、自家手作りの植物製品に加えて、汗ふき、手ふき、帯など、いろいろな方面に便利に活用される手拭を用い、東北地方では、二枚手拭、四はん手拭といって、手拭2枚を使った。
明治維新後、男子の散切(ざんぎり)により西洋帽子が着用され始め、陸海軍、鉄道、警察、郵便関係の人々の間で帽子が使われるようになった。女性の間では、明治10年代の鹿鳴館(ろくめいかん)時代以後、洋装が取り入れられてから婦人帽がおこり、また学生服の普及により男子も女子も帽子をかぶることが普通となっていった。大正時代になって、生活改善という生活に能率をあげる運動とともに、女性の職場服に独特な帽子を用いる風潮がおこり、この傾向は関東大震災以降いっそう激しくなった。
[遠藤 武]
頭にかぶるものの総称であり、英語のheaddress, headwear, headgear, headcloth, headcoveringなどにあたる。日本語では動詞の連用形に「もの」をつけて、そのような動作の対象となる物品を表したり、動作の結果できた物品を表したりする。この場合の「もの」は、物体を一般化したり、概念化したり、あるいは限定したりするのに使われる。被り物、履き物、着物などのほか、読み物、食べ物、焼き物などもそうである。ある状態や態度を名詞化して表すとき、英語では動名詞にしたり、語尾にwearをつけたりするのに似ている。headwearやheadcoveringもその例に漏れないとしても、日本語の「もの」ほどの包括的な機能はもっていない。こうしたことから、西洋での被り物は、「帽子hat」「頭巾coif」「フードhood」「スカーフscarf」「ベールveil」など、それぞれに分化して用いられるのが一般であるから、詳しくは各項を参照していただくとして、ここでは変遷の概略をたどってみることにする。いずれにせよ、直立して歩く人間にとって頭部は一番目だつ箇所であり、それだけに被り物は多様で変化に富んでいる。
古代エジプトでは男女ともかつらをかぶり、ときおり、王や王妃は縞柄(しまがら)の亜麻(あま)布の頭巾をかぶった。古代メソポタミアの王や兵士はフェルトの王冠やヘルメットをかぶり、ペルシアの貴族は布頭巾(ずきん)をターバン状にかぶった。古代ギリシアの青年男女はつば広の日よけ帽をかぶり、婦人はときおり頭巾をかぶっている。古代ローマでは男性はフェルトのぴったりした椀(わん)形帽か円錐(えんすい)帽をかぶったが、無帽が圧倒的だった。中世のロマネスク期になると男女ともフード、ベール、頭巾などをかぶることが多くなるが、これはイスラム文化の影響によるものであろう。一方、ゴシック期にはシャプロンという独特の頭巾や、エナンという婦人用とんがり帽、あるいはエスコフィオンという丈高い被り物がかぶられた。ルネサンス期になると圧倒的に男女ともベレー帽が多くなるが、17世紀になると山の高いフェルト帽がかぶられ、やがて男性にかつらの使用が高まるにつれて三角帽が、女性には独特のフォンタンジュという頭飾りがかぶられた。ロココ時代になると男性は前代の被り物を踏襲したが、女性の被り物は頭巾形に一変する一方、かつらが法外に巨大化してくる。フランス革命後はシルクハットが多くなり、女性ではボンネット形の帽子が全盛になる。20世紀になると山高帽、ソフト帽、鳥打帽(ハンチング)などが男性にかぶられたが、第二次世界大戦後は無帽主義が一般化する。他方、女性は盛装時ほど帽子をかぶる習慣があり、それだけにデザインも多様化するが、しかし、戦後の無帽主義は女性にも及んで今日に至っている。
[石山 彰]
『遠藤武著『近世姿態冊子』(『被服文化』18号所収・1952・文化出版局)』▽『喜多川守貞著『類聚近世風俗志』復刻版(1934・更生閣)』▽『R. Turner WilcoxThe Mode in Hats and Headdress (1945, Charles Scribner's Sons, New York)』
…能楽の舞台衣装。広義には面(おもて)(能面,狂言面)を除く扮装用具のすべてを指し,狭義には衣服および鬘帯(かつらおび),腰帯などの付属の布製品を指す。染織工芸,デザインなどの分野では〈能衣装〉の用語が使われていて,能楽用語としても中世末から近世初期の伝書類には〈衣装〉の語が頻用されているので,元来この語を用いることは不当ではないはずだが,現在は必ず〈装束〉と呼称する。
[史的変遷]
創成期の能装束がどのようなものであったかは,遺品も伝わらず記録も乏しいので不明だが,今日わずかに残されている室町末期から桃山時代にかけての装束を見ると,基本的な形や種類は現在使用されている能装束と大差はない。…
…今では外出着の意味に用いるが,本来はハレの日に着る着物で,礼装,式服,正装,盛装,忌衣などの意味に用いる。祭日や冠婚葬祭,誕生から成人式までのたびたびの祝日や年祝の日は,ふだんとは違うハレの日で,その日に着る着物が晴着である。ハレの日に対して普通の日をケ(褻)といったが,この語は早くすたれて,日常の着物は常着,ふだん着,野良着などと呼んでいる。地方によっては,節日に着る着物という意味で,晴着を〈せつご〉(東北地方),〈盆ご〉〈正月ご〉〈祭ご〉(和歌山,兵庫,岡山,香川),また生児の〈宮まいりご〉(岡山),娘の〈かねつけご〉(岐阜),嫁入りの〈よめりご〉(岡山),年祝の〈やくご〉〈祝いご〉(香川,鳥取,岡山)ともいった。…
… これに対し地方の農山漁村にはなお古風が伝えられ,喪服を〈いろ〉〈いろぎ〉〈しろぎん〉〈かたぎぬ〉〈うれいぎもの〉などと呼び,麻,木綿の素または白地の布で千早(ちはや),肩衣(かたぎぬ),小袖などを作って用いているほか,〈いろぎ〉といって白木綿1反を肩から腰に巻いたり,〈いろ〉〈しろ〉〈もんかくし〉などといって白布を肩にかけたり長く四つに折って襟にかけたりしているが,これも一種の喪服といえよう。なお,喪中・葬送の被り物も注意すべきで,49日の〈ほんいみ〉の期間中に外出する場合には〈てんとうおそれ〉などと称して,白木綿の布で必ず頭部を包むという風が行われたり,葬送に忌みがかりの男たちが〈かんむり〉〈かみえぼし〉〈しほう〉〈かみかくし〉〈みかくし〉〈まんじのぬの〉などと称して三角形の布や紙ぎれを額につけたり,白布で鉢巻したり,〈きちゅうがさ〉などといってイ(藺)の編笠(あみがさ)をかぶることが各地で行われてきた。 また,女たちが〈いろがみ〉〈うれいがみ〉〈忌中島田(きちゆうしまだ)〉〈忌中髷(きちゆうまげ)〉などといって特殊な形の髷(まげ)を結ったり,〈かつぎ〉〈いろかつぎ〉〈いのかぶり〉〈かぶりかたびら〉などといって麻の帷子(かたびら)や白薄絹の被衣(かずき)や白無垢の小袖で頭から身体をおおったり,〈そでかぶり〉などといってそれらの左袖を頭にかぶったり,また〈わたぼうし〉〈かぶり〉〈いろ〉などと称して白の綿帽子や袖形の布や手ぬぐいなどをかぶって葬列に加わることも広く各地に認められていた。…
※「被り物」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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