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一乗院 イチジョウイン

世界大百科事典 第2版の解説

いちじょういん【一乗院】

もと奈良市にあった興福寺の門跡寺院。法相宗。10世紀の末ころに興福寺別当定昭(じようしよう)が興福寺西御門の北東部に建立した子院で,長講堂と称し,大日如来,阿弥陀仏像を安置していた。定昭は法相教学を仁斅(にんこう)に,寛空灌頂をうけ,吉野の金峯山寺検校,東寺長者にもなり,970年(天禄1)に興福寺別当に補任された。定昭は常に法華一乗に傾倒し,往生極楽を欣求していたといい,一乗院の名もこれに由来する。

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大辞林 第三版の解説

いちじょういん【一乗院】

奈良興福寺の門跡の一。現在の奈良地方裁判所がその跡。970年定昭が建立。鎌倉・室町時代には大乗院とともに興福寺別当を務め勢威を振るった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一乗院
いちじょういん

10世紀末に創設された興福寺を代表する門跡(もんぜき)。関白藤原師実(もろざね)の子覚信(かくしん)(1065―1121)以後、摂関家の子弟が入室する門跡として発展、鎌倉時代には花山(かざん)院、理趣(りしゅ)院などの院家もその下に包摂され、近衛(このえ)家出身の門主(もんしゅ)によって統合され大乗院と並ぶ巨大な組織を形成した。鎌倉中期の坊官僧行賢(ぎょうけん)の記した『簡要類聚鈔』には一乗院の歴代門主・末寺・荘園・年中行事が記され、この時期の一乗院を知るうえでの一級史料である。 近世には1492石の寺領を有し親王入室の門跡としてその権威を保ったが、明治維新後に門主が還俗し春日(かすが)社大宮司(だいぐうじ)となるに及んで廃絶した。現在、興福寺に所蔵される三会定一記(さんねじょういつき)は一乗院に伝来したものである。[稲葉伸道]
『大山喬平著「近衛家と南都一乗院」(岸俊男教授退官記念会編『日本政治社会史研究 下』所収・1985・塙書房)』

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世界大百科事典内の一乗院の言及

【大和国】より

…ここで春日社興福寺を盟主とする大小社寺の領主連合組織が完成,治外法権の社寺王国(宗教王国)大和が出現した。興福寺の独走には東大寺や多武峰(とうのみね)(天台宗延暦寺末寺)が不満であり,やがて新興地侍らが将軍家御家人(地頭)あるいは悪党として反体制活動を始めたり,興福寺の一乗院大乗院両門跡の対立抗争が生ずるにいたった。しかし,社寺王国化にともない,南都仏教が復興,社寺の修造や復旧が進んだ。…

※「一乗院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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