ひとりで,声を出さないで文章を読み,意味をとってゆく行為,技術。いまでは日常化してなんの疑いももたれてはいないが,歴史的には近代市民社会形成過程のある時期以降に支配的,社会的になった様式,慣習である。これに対して,ローマの文人社会で公開朗読会が本の出版にひとしい意味をもっていたように,古代,中世では声を出して他人にも自分にも聞かせる〈音読〉が支配的様式であった。これは〈音読〉が共同体内部の語り,吟遊詩人の伝統と直結していたためである。たとえば,アウグスティヌスは,黙読しているアンブロシウスについて,〈その目はページを追い,心は意味をさぐっていましたが,声と舌とは休んでいました〉(《告白》)と驚きをもらしている。黙読は,活字本の普及と,ピューリタニズムに典型的にみられるように共同体的紐帯から個人が解放されることにより,また社会構成の変化がそれを必要化するにおよんでしだいに定着した新しいコミュニケーションの様式である。
日本でも〈音読〉から〈黙読〉への移行は,明治維新以降のある時期に起きていると思われるが,まだその過程についての研究は進んでいない。ともあれ,近代社会の運行は,それのない時代を尺度にすれば,ものすごい速度で行われる各種の,そして大量の〈黙読〉(その技術を植えこむのが学校教育の一主眼)によって支えられている。
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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