キャメロン(読み)きゃめろん(英語表記)James Cameron

デジタル大辞泉 「キャメロン」の意味・読み・例文・類語

キャメロン(David Cameron)

[1966~ ]英国の政治家。保守党。銀行家の家系に生まれ、オックスフォード大学卒業後、保守党職員となる。2001年に下院議員に当選し、2005年党首に就任。2010年の総選挙で保守党が比較第一党となる勝利を収め、第二次大戦後初の連立政権を自由民主党と組み、自らは首相となった。2016年、英国の欧州連合離脱を問う国民投票で残留を訴えたが敗北。首相を辞任した。→メイ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キャメロン」の意味・わかりやすい解説

キャメロン(James Cameron)
きゃめろん
James Cameron
(1954― )

カナダ生まれでアメリカで活躍する映画監督。オンタリオ州カプスケーシング生まれ。少年時代からSFや美術、さらにスキューバ・ダイビングを愛好。15歳で見たスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968) に決定的な影響を受け、16ミリカメラによる映画作りを開始するものの、自身の周囲の出来事にカメラを向ける通常のアマチュア・カメラマンと違い、宇宙船や惑星の模型をリアルに撮影することに当初から彼の情熱は注がれた。1971年、高校卒業の際に、電気技師であった父親の仕事の関係でカリフォルニア州オレンジ郡に一家で移住。ジュニア・カレッジで海洋生物学を専攻した後、フラトン大学では物理学を専攻したが、数学の才能に限界を感じて英文学に変更。その後も彼の人生において、科学と芸術の間での揺れがつねに重要な問題であり続けたが、結局、それらの関心を総合したものとして映画監督への道が模索されるようになる。1978年、オレンジ郡の歯科医師たちが税金逃れのために映画をつくる企画にかかわり、35ミリによる短編のSF映画『ジノジェネシス』Xenogenesisを完成。これをサンプルに面接に赴(おもむ)き、B級低予算映画の神様的存在だったロジャー・コーマン率いるニュー・ワールド・ピクチャーズへの入社を果たす。同社では『七人の侍』(1954)や『荒野の用心棒』(1960)のSF版焼き直しである『宇宙の七人』(1980。監督ジミー・T・ムラカミ(1933― ))に、当初は模型製作(視覚効果)で参加。しだいにその実力が認められ、美術監督や補足的な撮影を行う第二班撮影などにも関与するようになる。ジョン・カーペンターJohn Carpenter(1947― )監督の『ニューヨーク1997』(1981)の視覚効果でも注目され、ついに念願の初監督作品『殺人魚 フライングキラー』(1981)に着手するものの、半月余りでプロデューサーに解雇されたので、真の意味でのキャメロン作品とはいいがたい。この作品は、ベトナム戦争中に米軍が兵器として開発したピラニアトビウオの交配から生まれた殺人魚がカリブ海の島でリゾート観光客を次々と襲う、といったいかにも低予算B級映画らしい内容ではあるが、殺人魚の巣があると設定された沈没船の水中撮影やダイビングのシーンといった細部へのこだわりに、『アビス』(1989)や『タイタニック』(1997)など後のキャメロン作品につながる要素をみいだせる。

 その後、ニュー・ワールド・ピクチャーズが倒産したため、キャメロンは自身の監督作品とすべき脚本の執筆に2年もの歳月をかけて集中。完成した未来からやって来た殺人ロボットターミネーター」をめぐる物語のできばえはすばらしく、映画化も決定した。しかし、撮影開始には、主演のアーノルド・シュワルツェネッガーArnold Schwarznegger(1947― ) のスケジュールを待たねばならず、その間にキャメロンは『ランボー 怒りの脱出』(1985。監督ジョージ・P・コスマトスGeorge P. Cosmatos、1941―2005)と、SF映画『エイリアン』(1979。監督リドリー・スコット)の続編『エイリアン2』(1986)という大ヒット作2本の続編の脚本執筆にかかわる。細部に至るまでキャメロンの美学が行き届いた監督第二作『ターミネーター』(1984)は、ニュー・ワールド・ピクチャーズでの経験も活かしつつ、600万ドルとSFアクションを撮るには十分とはいえない予算を逆手にとって、積極的な意味でB級映画の輝きを帯びた斬新(ざんしん)な作品に仕上り、全世界で8000万ドルの興行収入をあげる。一躍、監督としてハリウッドから注目されたため、すでに脚本に参加していた『エイリアン2』の監督にも抜擢(ばってき)された。キャメロンの演出は、スコットによる前作と比較して、怪物と激突するヒロインのキャラクターを掘り下げ、アクション映画としての魅力を加味することに成功し、興行的にも大ヒット。アカデミー賞の視覚効果賞、音響効果賞を受けた。

 ハイスクール時代に書いた短編をもとにした『アビス』は、太古の昔から深海で暮らしてきたエイリアンと人類の遭遇を描く内容で、ハリウッドでヒット・メーカーとして認められたキャメロンが少年時代から抱き続けてきた深海への関心を全面展開させた作品である。未使用の原子力発電所の巨大サイロに水をためて行われた苛酷(かこく)な水中撮影、特殊効果の完成度(アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞)への執着など、この作品をきっかけに「完全主義者」としてのキャメロンの監督像が定着する。ふたたびシュワルツェネッガーと組んだ『ターミネーター2』(1991)は、1億ドルを超える予算をかけてグレードアップした続編となり、5億ドル以上の興行収入をあげ、アカデミー賞で特殊視覚効果賞、音響賞、音楽効果賞、メイクアップ賞に輝く。続く『トゥルーライズ』(1994)は、やはりシュワルツェネッガーとのコンビで、妻に内緒でスパイ活動をする男性の公私にわたる危機を描くコミカルな要素も多い作品だったが、当時史上最大の1億2000万ドルを超える予算に見合うほどのヒットに至らず、批評家からも不評だった。

 しかしキャメロンは、さらに野心的な映画作りに挑む。1912年に起こった20世紀最大の海難事故を描く『タイタニック』である。彼の名を世界中に広めた殺人ロボットだけでなく、『アビス』以降の3作において核戦争が重要なモチーフとなるなど、キャメロン作品では、人間がテクノロジーを開発し、それを活用するプラスの側面と裏腹に、テクノロジーによって人間や社会が被る変貌(へんぼう)や危機についての言及がつねにあった。そんな意味で当時の先端技術の成果である巨大客船の沈没は、彼の関心に沿うものであり、彼はこの事故に真の意味での20世紀=技術の時代の始まりを読み取ろうとした。1995年、実際に海底に沈むタイタニック号の撮影から壮大な映画作りがスタート。メキシコのロザリト・ビーチに撮影用の巨大スタジオが建設され、広さ6エーカー(約2.4ヘクタール)の巨大タンクにほぼ実物大のタイタニック号のレプリカが置かれるなどの話題性から、すでに撮影の段階から世界的に注目を集めたこの映画で、予算は2億ドルを超えてまたも史上最高を更新。結末がわかっているパニック映画に客が集まるのかといった周囲の疑問に対して、彼らの運命がわかっているからこそ、むしろ登場人物に感情移入できるのだというキャメロンの持論の正しさが実証され、全世界で興行収入10億ドルを超える空前のヒット作となった。アカデミー賞でも、それまでキャメロンには無縁だった監督賞や作品賞も含む11部門を制覇。これは1959年の『ベン・ハー』(監督ウィリアム・ワイラー)以来の快挙であり、『タイタニック』は、コンピュータ・グラフィクス(CG)などのデジタル技術とアクション・シーンの合成といった技術的な達成および世界的な「現象」となった話題性なども含め、まさに20世紀を締めくくるにふさわしい作品となった。

[北小路隆志]

資料 監督作品一覧

殺人魚 フライングキラー Piranha Ⅱ Flying Killers(1981)
ターミネーター The Terminator(1984)
エイリアン2 Aliens(1986)
アビス The Abyss(1989)
ターミネーター2 Terminator 2 : Judgmant Day(1991)
トゥルーライズ True Lies(1994)
タイタニック Titanic(1997)
ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密 Ghosts of the Abyss(2003)
エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ Aliens of the Deep(2005)
アバター Avatar(2009)
タイタニック 3D Titanic in 3D(2012)

『高橋良平編著『ジェームズ・キャメロンの映像力学』(1990・ビクター音楽産業)』『石上三登志編『フィルムメーカーズ4 ジェームズ・キャメロン』(1998・キネマ旬報社)』『クリストファー・ハード著、比嘉世津子訳『ジェームズ・キャメロン 映画と人生――ドリーム・アラウド』(1999・愛育社)』


キャメロン(David Cameron)
きゃめろん
David Cameron
(1966― )

イギリスの政治家。父はロンドンのシティに本拠を構える金融機関の役員、母は准男爵の娘という恵まれた家庭で育つ。名門の私立学校ヘザーダウン校とイートン校で学んだ後、オックスフォード大学で哲学・政治学・経済学を専攻。卒業後、保守党調査局、衛星放送テレビ局の広報担当を経て、2001年に下院議員に当選。2期目の2005年には、総選挙でブレア率いる労働党に3連敗を喫して党勢立て直しが急務となった保守党の党首に選出された。キャメロンは党首就任時の若さやその経歴から、ブレアとしばしば比較される。ブレア同様に党改革に取り組み、中道的な経済政策と社会問題に対するリベラルな姿勢を組み合わせることで支持の拡大を目ざしたが、限定的な成功を収めるにとどまった。個人的な政治信条は明確でなく、風見鶏(かざみどり)と評されることもある。2010年の総選挙の結果、保守党は第一党となったが、単独過半数の議席を確保することはできなかったため、第三党の自由民主党と戦後初の連立政権を結成し、43歳の若さで首相に就任した。

 アメリカ発の世界的な金融・経済危機の影響がイギリスにも及ぶなかで、連立政権は財政赤字の削減や新たな成長モデルの模索という困難な課題に取り組まねばならなかった。連立政権は緊縮財政により財政赤字を半減させたが、金融業や不動産ブームに依存する経済構造を抜本的に改革することはなかった。危機はイギリスの政治システムの正統性も脅かし、選挙制度改革、スコットランド独立、ヨーロッパ連合(EU)の一員であることの是非が争点として浮上した。2011年に行われた選挙制度改革をめぐる国民投票では、自由民主党が賛成する一方、保守党は小選挙区制の維持を訴えて反対し、連立与党が敵味方に分かれて争う形になったが、反対票が6割以上を占め改革は否決された。2011年のスコットランド地方選挙でイギリスからの独立を主張するスコットランド国民党(Scottish National Party:SNP)が過半数の議席を獲得したことを受け、2014年に独立の是非を問う住民投票が行われた。保守党・労働党・自由民主党の主要3党が反対に回ったこともあり、独立は僅差で否決された。

 イギリス政治・経済の大枠を維持することに成功したかにみえたキャメロンの失脚につながったのは、EUとの関係をめぐる問題であった。EUの東方拡大に伴う移民の流入や、ユーロ危機の深刻化を受け、イギリスの世論はEUに敵対的な方向に変化した。EUからの離脱を訴えるイギリス独立党(United Kingdom Independence Party:UKIP(ユーキップ))への支持が高まる一方、保守党内部でも反EU勢力が勢いを増すなか、キャメロンは2013年にEU残留の是非をめぐる国民投票を行うことを公約した。2015年総選挙で保守党が単独過半数の議席を得たことを受けて翌2016年6月に行われた国民投票で、キャメロンは残留を訴えたものの敗北し、翌日に首相辞職を表明した。

[池本大輔 2017年12月12日]

『佐々木毅編『21世紀デモクラシーの課題――意思決定構造の比較分析』(2015・吉田書店)』『梅川正美・阪野智一・力久昌幸編著『イギリス現代政治史』第2版(2016・ミネルヴァ書房)』『池本大輔「露呈した英国政治の機能不全」(『外交』第38号所収・2016・都市出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「キャメロン」の意味・わかりやすい解説

キャメロン

イギリスの政治家。2010年5月,イギリス首相に就任した。ロンドンに生まれる。エリザベス2世の遠縁の血筋。イートン校からオックスフォード大学で,哲学,政治学などを学ぶ。2001年,保守党から下院議員に当選。2005年,2期目の当選を果たす。2005年12月の党首選で,議員経験の最も少ない党首としてピット[小](ウイリアム・ピット)以来といわれる保守党党首に選ばれる。就任後,保守党を中道寄りに修正,財政再建を掲げて,2010年5月の総選挙で,第一党の位置を労働党から奪還した。しかし,過半数獲得は成らず,第三党の自由民主党との連立によってキャメロン内閣を発足させた。1812年のジェンキソン以来,就任時の年齢が最も若い首相である。GDPの10%をはるかに超す財政赤字を削減するために,公務員削減,子ども手当カット,消費税増税(2.5%上げ,20%)と緊縮策を次々と打ち出した。2011年8月,有色人種への警察官の差別的な対応からロンドンで若者の大規模な暴動が発生,若者の失業率や格差社会の増大が深刻化していることを突きつけられた。欧州信用不安ソブリンリスクでは,EUが提起している財政規律の強化を義務づける協定には参加拒否を表明,拒否権を発動し,独自路線を採ることを明瞭にした。EU脱退問題について,イギリス世論は二分しており,キャメロン首相は,2013年1月,反EUの世論に配慮して,2015年の次期総選挙で自らの政権が継続した場合,EU脱退の賛否を問う国民投票を2017年末までに行うと発表した。2012年10月には,スコットランドの独立を問う住民投票を実施する合意書に署名。投票は2014年9月に実施され,賛成44.7%,反対55.3%で否決された。任期後半に入って野党労働党は党勢回復傾向にあり,各種世論調査でも労働党が第一党の支持率を確保している。2013年8月,シリアの化学兵器使用疑惑を巡り,イギリス下院はアサド政権への武力行使に道を開く政府提出の動議を否決,キャメロンは武力行使を断念する意向を表明した。2015年5月の下院総選挙では,キャメロンの保守党は事前の予想を覆し,第二党の労働党に大差をつけて,単独過半数を獲得,キャメロン政権は第2期に入った。

キャメロン

映画監督。カナダに生まれ,米国で育つ。大学中退後R.コーマンのもとで働き,パニック映画《殺人魚・フライングキラー》(1981年)でデビュー。A.シュワルツェネッガーをスターダムにのしあげた第2作《ターミネーター》(1984年)で人気監督となる。その後も《エイリアン2》(1986年),深海を舞台にした《アビス》(1989年),《ターミネーター2》(1991年),《トゥルーライズ》(1994年)などを発表。《タイタニック》(1997年)で,同年アカデミー賞で史上最多の11部門受賞。大型スペクタクル作品は,常に話題を呼んでいる。探検家としても知られている。
→関連項目押井守

キャメロン

英国の写真家。スコットランドの高官を父に,インドのカルカッタ(コルカタ)で生まれる。英国に移住後,48歳の誕生日に娘からカメラを贈られたのがきっかけで,写真を始める。テニソンカーライルら知合いの作家,画家をモデルとしたクローズアップの人物写真は,長い露光時間でわずかにぶれ,その焦点のずれによって柔らかなテクスチャーをもつ独特のポートレートとなっている。神話や聖書から題材をとった寓意的な作品もある。晩年をセイロンで過ごし,同地で没した。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キャメロン」の意味・わかりやすい解説

キャメロン
Cameron, David

[生]1966.10.9. ロンドン
イギリスの政治家。首相(在任 2010~16)。フルネーム David William Donald Cameron。国王ウィリアム4世につながる名家の出身。1988年にオックスフォード大学卒業後,保守党の調査部門に在籍し,1992年ノーマン・ラモント財務大臣の特別補佐官となり,翌 1993年マイケル・ハワード内務大臣の特別補佐官を務めた。1994年にメディア企業のカールトン・コミュニケーションズの役員に転じ,2001年に下院議員として政界入りを果たすまで籍を置いた。初当選からわずか 2年後には党幹部に指名され,保守党の顔となった。2005年保守党党首に選出。党の現代化を模索し,右派イメージの払拭に努めた。保守党は減税よりも経済の安定と公共サービスの強化を優先する中道の立場であることを表明して支持率を伸ばし,2006年の統一地方選挙で大きく議席を増やした。キャメロンのリーダーシップのもと,保守党は優勢のまま 2010年5月6日の総選挙を迎え,1931年以来最も大幅な議席増を果たした。同 2010年5月11日,選挙惨敗の責任をとったゴードン・ブラウン首相の退陣をうけ,首相に就任した。イギリスからの独立を求めるスコットランドに対して説得を続け,2014年9月に実施された住民投票(→人民投票)を否決に導いた(→スコットランド独立運動)。2015年5月の総選挙では保守党の単独過半数獲得を実現した。しかし 2016年6月に行なわれたイギリスのヨーロッパ連合 EU離脱(「ブレグジット」Brexit)に関する国民投票の結果 EU離脱が選択されたため,辞任した。

キャメロン
Cameron, James

[生]1954.8.16. カプスケーシング
カナダの映画制作者。1971年にアメリカ合衆国へ移住,カリフォルニア州立大学で物理学を専攻した。『スター・ウォーズ』Star Wars(1977)に触発され,映画制作を志す。1980年に美術監督として働き始め,翌 1981年『殺人魚フライングキラー』Piranha II: The Spawningで監督デビューしたが奮わず,自身で脚本を書くようになる。『ターミネーター』The Terminator(1984)のヒットで,アーノルド・シュワルツェネッガーをスターにし,自身の実力を証明した。その後,いずれもアカデミー賞視覚効果賞を受賞した『エイリアン2』Aliens(1986)と『アビス』The Abyss(1989)のほか,『ターミネーター2』The Terminator 2: Judgment Day(1991),『トゥルーライズ』True Lies(1994)など,技術力を駆使した大型予算作品が続いた。脚本,監督,共同制作の『タイタニック』Titanic(1997)は興行面で記録破りの成功を収めたうえ,監督賞などアカデミー賞 11部門を制覇して名作『ベン・ハー』Ben-Hur(1959,ウィリアム・ワイラー監督)と並ぶ史上最多部門受賞のタイ記録を達成した。2000年以降テレビドラマなども手がけ,ドキュメンタリー『海底の戦艦ビスマルク』Expedition: Bismarck(2002)でエミー賞を受賞した。2009年の 3D映画(→立体映像)『アバター』Avatarは『タイタニック』を上回る興行収入を達成し,ゴールデン・グローブ賞の監督賞と作品賞(ドラマ)を受賞した。

キャメロン

「カメロン」のページをご覧ください。


キャメロン[ロキール]

「カメロン[ロキール]」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android