歌舞伎狂言《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》や山本周五郎の小説《樅(もみ)ノ木は残った》等で有名な仙台藩の御家騒動。寛文事件ともいう。1660年(万治3)江戸の小石川堀普請に際する不行跡のとがめにより藩主伊達綱宗は隠居を命じられ,2歳の亀千代(綱村)が襲封した。叔父伊達兵部少輔宗勝,庶兄田村右京宗良がそれぞれ3万石を分知され後見となり,幕府国目付の毎年派遣の下に藩政が行われた。奉行奥山大学常辰が当初権勢をふるったが,兵部(宗勝)は63年(寛文3)これを罷免,幕府老中酒井忠清と姻戚関係を結び,奉行原田甲斐や側近出頭人を重用して一門以下の反対勢力を弾圧,斬罪切腹17名を含む120名余を処分した。66年には亀千代毒殺未遂のうわさがたち医師河野道円父子が殺害され,68年にも同様の事件があって兵部らの陰謀とする非難が高まった。おりから一門伊達安芸宗重は一門伊達式部宗倫と知行地の境界紛争を続け,兵部派の裁定に不満をもち,藩政の非違をあげて幕府に上訴,家中の上訴もあって71年幕府の審議が開始された。3月27日大老酒井忠清邸で兵部派の敗北をさとった原田甲斐は伊達安芸を斬殺,乱闘の中で甲斐も斬死する事件となった。兵部,右京の後見は解かれ配流・閉門処分を受けた。伊達家取潰しや乗っ取り説,忠臣逆臣説等の見方もあるが根拠は明確でなく,現在では大学,兵部らの藩権力の政治的財政的集権化政策と,地方知行(じかたちぎよう)制で割拠性が強い家臣団の対立抗争とみる評価が有力である。
執筆者:難波 信雄
仙台藩伊達家の御家騒動を題材にした実録本,講談,歌舞伎,人形浄瑠璃の作品群を伊達騒動物という。実録本には,《仙台萩》《伊達厳秘録》などがある。歌舞伎,浄瑠璃には,1746年(延享3)江戸で演じられた《大鳥毛五十四郡(おおとりげごじゆうしぐん)》という歌舞伎狂言以降,明治までいろいろな作品があるが,いちばん著名なのは《伽羅先代萩》である。これは,78年(安永7)に江戸初演の《伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)》という歌舞伎狂言が翌年人形浄瑠璃になったのを逆輸入したもので,前半に義太夫を入れ後半を史劇風な演出で見せる変則的な台本だが,幼君の乳母である政岡がわが子に毒見をさせ,その死骸を抱いて嘆く場面が悲劇として完成されている。その前の〈まま炊き〉からの長い時間の演技は,女方の役として至難なものといわれる。このあと御殿の床下で原田甲斐をモデルにした仁木弾正が忍術を使い,その化身のねずみをふまえてセリ出す荒獅子男之助が江戸の荒事の芸を見せ,問注所の対決から,仁木の刃傷がそれに続く。この作品をていねいに演じると,隠居した藩主が吉原の高尾太夫に失恋して女を船の中で斬ったり,高尾の妹である累(かさね)が祟るという物語も含まれる。この累は鶴屋南北が《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》の主役にし,その中の舞踊《累》がよく演じられる。《先代萩》は仙台を利かせた題名だが,1876年河竹黙阿弥が書いた《早苗鳥伊達聞書(ほととぎすだてのききがき)》は現在《実録先代萩》と呼ばれる。この脚本では,乳母が政岡でなく浅岡である。
執筆者:戸板 康二
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江戸時代、寛文(かんぶん)年間(1661~73)に起きた仙台藩の騒動。寛文事件ともいう。1660年(万治3)3代藩主伊達綱宗(つなむね)は不行跡のかどで幕府から逼塞(ひっそく)を命ぜられ、2歳の長男亀千代(かめちよ)(綱村)が家督相続、綱宗の叔父伊達兵部少輔宗勝(ひょうぶしょうゆうむねかつ)と綱宗の庶兄田村右京宗良(うきょうむねよし)が62万石のうちからそれぞれ3万石を給され後見人に指名された。初めは家老(奉行(ぶぎょう))が藩政を担当していたが、しだいに宗勝が実権を握り、反対勢力を多数処分した。その間、幼君亀千代に対する置毒事件が起こるなど藩内は動揺しだした。宗勝は腹心を登用し要職につけ、家老の権限を弱め専制体制をとった。だが、伝統と門閥を重んじる他の重臣はこれを嫌悪し、宗勝は孤立していった。こうしたなかで、一門伊達安芸宗重(あきむねしげ)(涌谷(わくや)2万石)と一門伊達式部宗倫(しきぶむねとも)(登米(とめ)1万7000石)との間に知行(ちぎょう)地の境界紛争が生じた。この紛争に対する藩の裁定を不公正とする伊達安芸はこれを幕府に訴え、宗勝の政治に対する積年の不満を晴らそうとした。幕府の審理は1671年(寛文11)2月開始された。ところが、3月27日大老酒井忠清(ただきよ)邸での審理が終わったころ、家老原田甲斐宗輔(かいむねすけ)が突然安芸に斬(き)り付け即死させ、甲斐もまた斬られその夜死亡した。兵部ら関係者は他家御預けなど処分を受け、甲斐一家も切腹を命ぜられ断絶した。綱村の伊達62万石は確認され後見も解除された。歌舞伎(かぶき)『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』に取り上げられるなど騒動の意義については諸説ある。
[渡辺信夫]
『大槻文彦著『伊達騒動実録』(1909・吉川弘文館)』
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寛文事件とも。江戸前期,陸奥国仙台藩伊達家の御家騒動。1660年(万治3)幕府は藩主伊達綱宗に不行跡を理由に隠居を命じ,2歳の亀千代(綱村)が家督を相続,後見として一門の伊達兵部宗勝(むねかつ)と田村右京宗良(むねよし)が仙台62万石からそれぞれ3万石を分封された。その後,兵部は奉行原田甲斐宗輔らと藩政を主導し,藩権力の強化・集中をはかり,反対派の伊達安芸宗重(むねしげ)や譜代門閥層と対立。所領争論を機に71年(寛文11)安芸は兵部らの非違を幕府に提訴した。大老酒井忠清邸での対決で原田甲斐は伊達安芸を斬殺,みずからもその場で殺され,敗訴となった伊達兵部は改易,綱村は領知62万石を安堵された。三大御家騒動の一つとして脚色され,1713年(正徳3)江戸市村座の「泰平女今川」に始まり,85年(天明5)江戸結城座での人形浄瑠璃「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」が定本となる。
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…吉川竹丸,竹丸の弟子定吉,吉川辰丸などのもとで修業し,養家の家業鼈甲屋にちなんで亭号とした。美声と人品の良さで売り出し,《伊達(だて)騒動》《荒木又右衛門》等を得意とした。(2)2代(1878‐1950∥明治11‐昭和25) 初代門下。…
…仙台藩奉行(家老)。伊達騒動(寛文事件)で有名。名は宗輔。…
※「伊達騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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