19世紀末以降,事実上,日本の国歌として扱われてきた天皇の治世を奉祝する歌。歌詞は《古今和歌集》に由来するが,その初句は〈我が君は〉であり,〈君が代は〉となったのは,《和漢朗詠集》の一写本に始まるといわれる。近世に入り,地歌,長唄などにもとり入れられ,祝賀の歌詞として用いられた。1869年(明治2)ころ,横浜にいたイギリス軍楽隊長J.W.フェントンが国歌の必要を説き,薩摩藩砲兵隊長大山弥助(のちの元帥陸軍大将大山巌)が薩摩琵琶歌《蓬萊山(ほうらいさん)》に入っていた《君が代》を歌詞として選定(選者については異説あり),フェントンがこれに作曲。76年,この曲は日本人には不適であるとの判断から,海軍軍楽隊長中村祐庸は〈天皇陛下ヲ祝スル楽譜改訂ノ儀上申〉を提出,西南戦争後,海軍省は新曲作成を宮内省式部寮雅楽課に委嘱,80年同課では壱越(いちこつ)調律旋により作曲(形式上は〈林広守撰譜〉と公表),海軍省傭教師F.エッケルトが和声を付し,同年11月3日,天長節宮中御宴で伶人らにより初演。82年,音楽取調掛が文部省の命を受け国歌選定に努力したが実現せず,雅楽調の《君が代》が天皇礼式曲としておもに軍隊で演奏され,88年海軍省が吹奏楽譜を〈大日本礼式Japanische Hymne(von F.Eckert)〉として各官庁や条約国に送付した。しかし国内でそれを認めていた人は少なく,《君が代》の普及は,1890年の教育勅語発布以後,学校をとおして強力に進められた。91年には〈小学校祝日大祭日儀式規程〉が制定され,この儀式では当日にふさわしい歌をうたうことが指定された。ついで93年《君が代》は〈祝日大祭日唱歌〉8曲の一つとして官報で告示された。
《君が代》は正式に国歌とされたことはなかったが,祝祭日に学校儀式で国歌として扱われるようになり,日清・日露戦争にさいし国威発揚にともない普及していった。国定修身教科書には〈私たち臣民が《君が代》を歌ふときには,天皇陛下の万歳を祝ひ奉り,皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります〉(《小学修身書》巻四)とあった。この歌については,すでに1904年9月3日付《大阪朝日新聞》〈天声人語〉欄に〈皇室の歌あり,国民の歌なき国民も亦不自由なる哉〉とあるように批判もあった。国定教科書で,天皇の治世の永遠の繁栄を祈る歌と規定された《君が代》は〈国民の歌〉ではなく,第2次大戦後,日本国憲法下では,その精神に反しており,国歌として扱うことはできなかった。しかし1950年10月,文部省が祝日に国旗掲揚とともに《君が代》斉唱が望ましいとの天野貞祐文相談話を通達,58年版小学校学習指導要領で,《君が代》は発達段階に応じて指導すること,また祝日など学校行事での斉唱が望ましいとされたことから,徐々に学校でうたわれはじめたが,とくに卒業式でうたうかどうかをめぐり,職員会議で激論がかわされるようになった。77年の指導要領改訂のさいには,教育課程審議会で一度も議論されなかったにもかかわらず,初めて正式に国歌と規定された。99年8月制定の〈国旗・国歌法〉により《君が代》は国歌とされ,同時に日章旗が国旗と定められた。
→国歌
執筆者:山住 正己
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日本の国歌。歌詞の原型は『古今和歌集』賀の部に「わがきみは」、『和漢朗詠集』には「きみがよは」の初句で、いずれもよみ人知らずで登載されている。同じ歌詞が俗楽では隆達節(りゅうたつぶし)(江戸初期)、箏曲(そうきょく)、地歌(じうた)、長唄(江戸中期以後)にあり、祝賀用である。古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられたのも、この表現が国民感情に受け入れられやすかったからであろう。
1869年(明治2)横浜滞在のイギリス人軍楽隊長フェントンJohn William Fenton(1828―没年不明)が薩摩(さつま)藩士に洋楽講習中、日本国歌作成の要を説き、大山巌(おおやまいわお)は薩摩琵琶歌(びわうた)『蓬莱山(ほうらいさん)』中からこの歌詞を選び、フェントンが、ヘ長調の曲をつけた。別に文部省は、同歌詞に曲をつけ『小学唱歌集』に採録したが、2曲とも適切な曲でなく改作が建議された。1880年、海軍省から宮内省雅楽課に作曲が委嘱され、伶人長(れいじんちょう)林広守(はやしひろもり)の旋律が当選、ドイツ人音楽教師エッケルトFranz Eckert(1852―1916)が四声(しせい)体に編曲、同年初演されたものが現在に至っている。1882年音楽取調所(現、東京芸術大学音楽学部)が国歌選定を命じられ、『明治頌歌(しょうか)』が候補にあがったが実現せず、1893年に全国の小学校に文部省が告示した『祝日大祭日歌詞並楽譜』の冒頭に所載された林広守の曲が定着した。
1958年(昭和33)告示の小学校学習指導要領から、学校において国民の祝日などの儀式を行う場合、国旗を掲揚し、『君が代』を斉唱することが望ましいとされ、さらに1976年以降では「国旗を掲揚し『国歌』を斉唱させることが望ましい」と規定された。『君が代』の「君」が天皇をさすとして定着したのは明治以降であるが、第二次世界大戦後制定された新憲法では、主権在民の原則が確立されているにもかかわらず、天皇の賛歌ともいえる『君が代』を国歌として法制化することに対して異見も少なくなかった。しかし政府見解では「『君』は日本国及び日本国民統合の象徴で主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指し『君が代』は象徴天皇のいる日本のことを指す」と説明した。1999年(平成11)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(平成11年法律第127号。国旗・国歌法)が第145通常国会において可決され、『君が代』は同年8月13日官報で日本の国歌として公布、施行された。
[榊原烋一 2018年9月19日]
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…旧仙台藩の領内である宮城県全部と岩手県一関・水沢地方,福島県北部・会津および山形県米沢地方に行われる祝歌。仙台地方では《君が代》の異称もあるように,必ず祝宴の劈頭,全員が正座して厳かに手拍子を打って〈さんさ時雨か萱野の雨か 音もせで来てぬれかかる〉以下3首(三幅一対)を斉唱する。米沢・会津地方では二幅一対である。…
※「君が代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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