契丹語(死語)を表記した遼の文字。漢字を参考に作った表意文字である契丹大字と,表意字形と表音字形を混用する契丹小字がある。大字は遼の太祖耶律阿保機(やりつあぼき)が920年(神冊5)に創案し,小字は数年後,太祖の弟の迭剌(てつらつ)がウイグルの使者から学んで作ったと記録される。小字の創作年代はつまびらかではないが,924年(天賛3)か925年と推定されている。近年,契丹文字の碑文が多く出土したため,資料が豊富になり,小字の解読がかなり進展したが,なお音価の不明な字形が多く,全体は依然として未解読のまま残っている。小字は遼滅亡後もなお使われ,女真国(金)の初期に作られた〈大金皇弟郎君行記碑〉は契丹語・契丹文字で書かれている。大字は漢字のように1字を意味単位として縦書きするが,小字の表音字形は,2字を偏(へん)と旁(つくり)のように左右に並べ,単語ごとに縦書きし,分かち書きをしている。したがって名詞は格助詞と,動詞は後置する助動詞などとつづけて書かれている。契丹語はアルタイ諸語に属する言語であったことは確実であるが,どの下位群に入るかはなお不明である。代表的な碑文には,大字に〈北大王墓誌〉(1041),〈故太師銘石記〉(1056),〈蕭孝忠墓誌〉(1089),小字に〈興宗碑〉(1055),〈仁懿(じんい)皇后碑〉(1076),〈道宗碑〉(1101),〈宣懿(せんい)皇后碑〉(1101),〈許王墓誌〉(1105)などが残っている。
執筆者:西田 龍雄
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契丹文字には大字と小字がある。大字は遼(りょう)の太祖耶律阿保機(やりつあぼき)が920年に制定し、その後、太祖の弟の迭剌(てつら)がウイグル語を参考として小字をつくった。大字は表意文字であり、小字は音価をもつ表音文字で、単独ないし2個以上7個までの小字を組み合わせた合成文字であり、1合成文字のうちに助詞や動詞の接尾語が含まれる。小字の組合せ順序は、普通には左から右に2個を限度として並べる。それ以上のときは下段に重ね、同一段の2個は左から右へ並べる。契丹文字は遼・金(きん)代に公用文字として用いられた。
契丹文字は資料不足のためそのおおよそを推測するほかなかったが、1922年ベルギー人宣教師ケルビンが慶陵(けいりょう)で契丹文の哀冊(あいさく)(墓碑銘)を発見して学界に紹介した。哀冊は現在は瀋陽(しんよう)博物館に収蔵されているが、そのうち道宗と宣懿(せんい)皇后哀冊の蓋(ふた)と身1組、合計4面に契丹文字が記され、このほかに碑石は所在不明であるが、興宗と仁懿(じんい)皇后哀冊の契丹文を鈔写(しょうしゃ)した2葉が残っている。
[河内良弘]
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契丹がつくり,遼一代および金代にも用いられた文字。耶律阿保機(やりつあぼき)のときに漢字をもとにつくられた大字(だいじ)と,子の迭剌(てつらつ)がウイグルの影響でつくったという表音文字系の小字(しょうじ)とがある。体系的史料に欠けるため完全には解読されていない。
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…ただ大きく分ければ,アルタイ諸語系の中では契丹語,非アルタイ諸語では漢語(中国語)が重要な役割を果たしたことは疑いない。契丹語には本来文字がなかったため10世紀の初めより契丹文字(大字および小字)が作られた。この文字は12世紀初めまで使用されたが,以後は用いられなくなり,現在なお完全には解読されていない。…
※「契丹文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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