百科事典マイペディア 「河野談話」の意味・わかりやすい解説
河野談話【こうのだんわ】
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第二次世界大戦中の従軍慰安婦について、旧日本軍の関与や強制的であったことを日本政府が公式に認め、謝罪した当時の官房長官河野洋平(こうのようへい)(1937― )の談話。正式名称は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」。1991年(平成3)末、韓国の元従軍慰安婦が日本政府に補償を求め提訴したのを受け、当時の宮沢喜一(みやざわきいち)内閣は慰安婦関係の調査を実施した。この調査結果を踏まえ、1993年8月4日、河野官房長官が記者会見で発表した。朝鮮半島などでの慰安婦の募集や移送、慰安所の設置やその管理に、旧日本軍が直接・間接に関与したことを認め、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と明記し、強制的であったことを公式に認めた。また「数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げる」との表現で謝罪した。河野談話以降、日本の歴代内閣は基本的にこれを踏襲・継承している。1994年、村山富市(むらやまとみいち)内閣は従軍慰安婦について謝罪を表明し、1995年に「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「アジア女性基金」)を発足させて、元従軍慰安婦への償い事業を行った(事業終了に伴い2007年3月解散)。
なお宮沢内閣の調査では、旧日本軍の強制連行を証拠だてる書類・資料が発見されなかったため、強制的であったかどうかがその後の争点となっている。談話発表の際、河野官房長官は「強制連行を行っていても、命令書や報告書は作成されはしないであろう。募集・移送・管理等の過程全体をみて、自由行動の制限があった」と強制的とした根拠を説明した。一方、2007年(平成19)、第一次安倍晋三(あべしんぞう)内閣は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述はみあたらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。安倍晋三は2012年の自民党総裁選で河野談話の見直しに意欲を示したが、内閣総理大臣についた2013年1月には従軍慰安婦問題を「政治、外交問題化させるべきでない。総理である私が申し上げることは差し控える」と河野談話の見直しに踏み込まない意向を示した。
河野談話発表後、韓国政府は「補償は不要」との姿勢だった。しかし元従軍慰安婦の賠償訴訟が相次ぎ、2007年に韓国の国会議員が日本政府に賠償を要求し、2012年には当時の大統領李明博(イミョンバク)や韓国国会が賠償措置など慰安婦問題の解決を要求した。
[編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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